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しっかり学法することについて

(明慧日本)私たち大法弟子は皆、学法を続けています。しかし、学法についてどのように学んでいるのか、しっかり学んでいるのか、心に残っているのかはとても大きな問題です。これは大法弟子として最も重要な問題で、まさに師父が何度も多く法を学ぶように、しっかり法を学ぶようにと強調されている理由でもあります。ただ「しっかり」学法をすれば、法の中から知恵と力を得て、魔難の中でも孤独感に陥ることがなく、やっとそこで強大な支持があり、さらに執着心をしっかり認識することができ、そして、さらに取り除きやすくすることができるのです。しっかり学法することは、他の二つのことを良く行う前提でもあります。そうでなければ、魔難は続いてしまいます。

 私自身と同修の状況からみて、修煉中には魔難が大小にかかわらずあるのですが、一部の同修は乗り越えることが大変で、一部の同修は全く乗り越えることができず、長く内に向かって探して、やっと問題を探して苦しく感じます。なぜこうなるのでしょうか? やはり形式だけの学法が問題なのです。流暢に読むことが重要ではなく、「学法して心に残る」かどうかがとても大事なのです。心に残らなければ法を敬わないことであり、次元を突破することもできないのです。それで難関を乗り越えることができると思いますか? ですから、学法の時に心に残るかどうかが大変重要な問題になるのです。それは修煉しているかどうか、修煉して円満成就できるかどうかに関わるので、重視すべきです。しっかりできていない人はよく考えて下さい、直ちに改めてください、かなり危険なことです!

 心を静めて行う学法は修煉の各方面の基礎と保障です。一方、学法しても落ち着かず、雑念がいっぱいでは邪悪に妨害する口実を与えてしまいます。これも漏れの根源、魔難の原因です。しっかり学法するとすぐに執着を見つけることができ、簡単にそれを取り除くこともできます。なぜなら、法は何でもできるからです。執着が少なくなっただけ心は静かになり、良い循環になります。逆にすると、執着と思想業力が一緒に学法を妨害し、さらに落ち着かなくなり、学法は悪循環になります。時間が経つにつれて、もっと挽回できず認識できなくなり、かなり難しいのです。また巨大な難関が現れることもあり得ます。

 しっかり学法すれば何でもできるのです。そうでなければ何もできず、修煉の向上や円満成就にも深刻に影響を与え、大法弟子としてのすべてもなくなるに等しく、考えるだけで恐ろしいことです! とにかく、しっかり学法できなければ合格した大法弟子とは言えず、大法弟子としても基本を守っていないと私は思います。皆が自分の学法している時の心を見てみましょう。落ち着いて雑念のない状態にどれだけ達しているかを見てください。愚見ですが、皆さんと交流してともに精進したいと思います。

  2009年11月5日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/31/211478.html

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