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神聖な機縁に出会った瞬間(写真)


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)子供のころから、秋に舞い落ちる楓(かえで)の葉を見るたびに、家に持って帰って大事に保存したいという衝動を感じた。あんなにかわいい形、あんなに美しい色。ただ一枚の紅葉が、大自然の果てしない叡智を現わしてくれているようだった。

 夜空の煌めく星を見つめて、生命の根源を沈思(ちんし)する小さな思考者。物理学の教科書を抱いて宇宙の神秘を探求しようとした小学校4年生。今の私は、小さいころ抱いていた宇宙と生命に対する疑問への解答を得て、子供の時の探求心と好奇心は消えてしまった。しかし、今もあのころの純粋な童心は持ち合わせている。

楓の葉の上に咲いた優曇華

 今朝も、芝生の上に落ちている朝露のついた楓の葉を拾っていた。拾った楓の葉がずいぶん多いと思い、最後の一枚を捨てることにした。その楓の葉が地面に落ちる瞬間、これまで一度も出会ったことのない純粋な白い光が目の前をかすめた。その葉を再び拾い上げて、目を凝らして見たとたん、小さな光景に思わず目を奪われてしまった。

 紅い楓の葉に咲く無数の小さな白い花。可愛らしく、淡い白い光を放つその小さな花は、いったい何の花なのか?

 あの伝説にある三千年に一度咲くと言われる優曇華(うどんげ)の花だ。

 2009年10月21日撮影。楓の葉の上に咲いた優曇華。20輪はある。

2009年10月21日撮影。楓の葉の上に咲いた優曇華。20輪はある。



 ネット上の写真で、何度もその姿は見てきたが、本当に出会った瞬間、目頭が熱くなった。

 優曇華のことを最初に知ったのは、DVDで見た、中国の正統文化を演じる「2009年神韻芸術祭」の演目からだった。司会者は舞踊「優曇華の開花」を観客に紹介する際、その古い伝説を語った。釈迦牟尼仏 曰く、「優曇華が開花するのは、転輪聖王が世の中に下り、伝法して人を済度する時である」と。

 その優曇華が、近年中国大陸を含め、世界各地で開花しているそうだ。

 釈迦牟尼仏が予言したように、転輪聖王がすでに世に降りたのだろうか?

 その神聖で清潔な優曇華の花を、私はもう少しで見逃すところだった。「損得は一瞬の機縁」と感嘆しながら、13年間、風雨を押し切り、歩き続けてきた自らの修練の道のりが目の前にあるようだった。

 1996年、私がまだ学生の時、「法輪功(ファールンゴン)」はすでに中国大陸で4年間にわたり伝わっており、郷里の小さな本屋にも法輪功の書籍がたくさん並んでいた。本屋で初めてこの本を見た時、店員さんが、おおぜいの人がこの本に従って法輪功という気功を習っていると話してくれた。唯物論の影響を受けて来た私には、滑稽にしか聞こえなかった。「今の科学の時代に、まだこんな迷信のようなことをやるのか」と、私は店員に笑いながら言い返した。

 その日の夜、寝ていると、ある声が聞こえてきた。「本を一度も読んでいないのに、良し悪しは言えないだろう」私は、驚いて目を覚ました。

 翌日の午後、意外なことに、友達が法輪功の本『転法輪』を持ってきてくれた。

 「『佛法』はこの上なく奥深いものであり、世のあらゆる学説中、最も玄妙かつ超常的な科学です。この領域を切り開くには、常人の認識を根底から変えなけ ればなりません。さもなければ、宇宙の真相は人類にとって永遠に神話のままであり、常人は己の愚かな所見に限定された枠の中で永遠に這いまわるしかありま せん。」(『転法輪・論語』)

 『転法輪』の「論語」を読んでいるうちに、今までの多くの観念が変わり始めた。これは普通の本ではないと意識し、一気に半分を読み切った。半分しか読んでいないのに、今まで抱えてきた人生の意義、宇宙の時空、超自然的な現象などのすべての疑問が解き明かされた。

 人が生きている真の意味は何なのか? 人間は本当に進化して来たものなのか? はるか昔のものと思われる極めて発展していた文明遺跡が数多く発見されているのはなぜか? 人間には「魂」というものが本当に存在するのか?超能力とはどういうことなのか? 「他の空間」は本当にあるのか? あるとしたら、どういう形式で存在するのか?

 その全ての疑問に、『転法輪』が答えを与えてくれていたのだ。

 その日、私は感動のあまり、眠れなかった。高名な科学者も答えることができなかった全ての問題の答えを知り得た私は、人間の生命の根源はもっと高い所にあり、人が生きている真の意味は「返本帰真」して、本当の故里、自分の真の根源に戻ることだと分かった。

 自分の観念の妨げのため、もう少しでこの素晴らしい本と行き違いになるところだった。

 法輪功の修煉を始めた私は、多くの学習者たちが薬などを飲まなくても奇跡的に病気が治ったことを目にした。それから、煉功する時、エネルギーの流れや、法輪の回転、「大周天」が全身を通す時のふわふわとした感覚などを強く実感することもできた。これは高い次元の修煉方法であり、学習者たちは「真・善・忍」を基に心を修めていくことで、道徳感を高め、自分より他人を優先することで、最高の精神的な境地に達するものだと体感した。道徳が破壊され、私利私欲 に満ちている現代社会で身に付けてきた、様々な利己的で変異した観念から抜け出し、自分を向上させることができるのだ。

 あれからいつの間にか13年が過ぎた。中国共産党当局の法輪功に対する迫害は、1999年以来10年も続いている。私と回りの学習者たちは、迫害の真相を伝えるため、残酷な迫害を受け、精神と肉体の苦痛を味わい、息苦しい日々を過ごしてきた。どれだけ多くの修煉者が、迫害のため一家離散を余儀なくされ、 命まで奪われてしまったことか。どれだけ多くの修煉者が、今も獄中で残虐な拷問の難に耐えていることか。数えられないほどだ。

 しかし、いったん生命の真の意味、宇宙の真理を知ったら、命をかけても惜しまない。世の中のすべての手段を尽くしても、心の中で大切にしている「真・ 善・忍」の信念を動揺させることはできないのだ。苦難の中で、いつか雲が晴れ、迫害の真実が天下に明らかになり、人々が中国共産党の虚言から抜け出し、良知が呼び覚まされて、美しい未来へ向かう日が来ると信じている。

 共産党政権下の過去60年、当局は多くの人々を迫害してきた。いかなる団体、個人でも、三日で鎮圧することができた。江沢民も「3ヶ月で法輪功を打ち破る」と言い張り、迫害を始めた。10年の残酷な迫害の中で、中国共産党はすべての国家機関、極悪な手段を尽くして法輪功修煉者への迫害を続けた。しかし法輪功は中国でそびえ立つだけではなく、全世界に広がり、中国共産党の虚言と暴行はますます人々に軽蔑されるようになった。これは通常の団体がやり遂げられ ることではない。神の足跡だ。

 目の前にある神聖で純潔な優曇華は、極めて純真で美しい。花軸は細いが、弾力に富む。花が決して咲かないような、ガラス、木、葉、果物などの上に咲く。まるで法輪功修煉者たちの「真・善・忍」への信念が押しとどめようがないことを示しているようだ。人類の歴史上、最も残忍で邪悪な迫害も、大法弟子の大いなる善・大いなる忍の器を引き立たせるものにすぎない。

 中国大地の同胞たちよ。心の奥でずっと何かを探し求めているあなたが機縁に出会うことがあるなら、それは正に自分が長い間待っていたものかも知れない。一念の差で万古の機縁を失ってはならない。

 世界中で開花している優曇華。その神聖で純潔な花をあなたは目にしただろうか? 神の到来、古い予言が現実となる日が近づいてきたのをあなたは感じただろうか?

 2009年11月25日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/10/24/211013.html

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