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師と法を固く信じれば、邪悪は私たちを迫害できない


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は検察庁でパートタイムをしています。初めは怖れる心があり、法輪功のことを口に出すことができず、だれも私が修煉していることを知りませんでした。当時、周りの環境から緊迫感を覚え、圧力も非常に大きいものでした。自分の仕事に対する真面目な態度と、修煉者の基準で周りの人に対し、自分を律する振る舞いで他人を感動させてから真相を伝えようと思いました。当時は面と向かって真相を伝えませんでした(実は自分の怖れる心のため周りの環境から緊迫感を覚えた)。

 家にいるときは真相を伝え、三退を勧めることを多く行いました。そのため村のなかで法輪功が迫害されている真相が分からない多くの人は私のことを『法輪功のボス』と呼びました。2008年のオリンピックの時、市委員会は検察庁の人に私の行動を監視し、人身の自由を制限させようとしました。検察庁の上司は私に修煉を放棄するように話しました。すでに私が大法を修煉していることが分かりましたので、自然に任せよう、これも良い事かもしれず、これで私も正々堂々と修煉できると思いました。

 初めの時は怖れる心がありましたが、自分の正念を強くもって師父を信じ、法を信じていれば邪悪は敢えて迫害しないと思いました。当時私は揺るぎなく「どうするかはあなたたちが決める問題ですが、私に修煉を放棄させることはできません」と話しました。同時に私は彼に真相を伝え、私達は真善忍を修めており、法に違反することはしないと告げました。私が揺るぎなく、乗じられる隙もないのをみて、上司は言い直して「信仰はあなたの自由ですが、今は厳しい時期で、影響に注意して、上司に迷惑をかけないでください」と話しました。「あなたが話している意味は分かっています。自分がどのようにするのかも分かっています。法に違反することはしません」と答えました。その後私は他の上司を訪ねて真相を伝えました(2人が三退をした)。当時、彼らに完全に法輪功が迫害されていることの真相を分かってはもらえませんでしたが、彼らは私に対する監視をしませんでした。その後、私は検察庁の中で理性を持って面と向かって真相を伝えました。

 2009年の「十一」の期間(共産党の言う国慶節の間のこと)、上からの圧力で、検察庁の上司はまた私を訪ねて修煉を放棄するように話しました。私が応じないので、彼の上司がまた私を訪ねてきました。「あなたは仕事もちゃんとやるし、人柄もいいのです。これはみんなが認めています」と話したので、これは私が修煉したからだと話しました。彼は続いて「しかし、ここは法律を執行する機関で、党の指示に従わなければなりません。あなたたちの法輪功はずっと党中央から取り締まりと防止の重点対象で、中央はずっと法輪功を修煉してはならないと強調してきました。私達の執行機関ではなおさら煉ってはいけません。良く考えなさい。このことで損を蒙らないようにしてください。いま、仕事を探すのも難しいのに」

 邪は正に勝つことはできないと堅く信じ、私は直ちに答えました。「考える必要はありません。修煉は私個人の選択で、私は修煉してよい人になったのに、これで私を辞めさせるのなら、私は直ちに帰ります。あなたたちを困らせたくはありません。同時に、あなたたちを理解します。私もどうするか分かっており、決して法に違反することはしません」 彼は私が揺るぎないことをみて、言い直し「ここは法を執行する機関で、多くの人が党員です。話す時注意しなさい」と話しました。

 正念で邪悪を解体して、私は相変わらず正々堂々と私達が行うべき三つのことをやっています(当然理性を持って行う)。もう私を邪魔する人もいませんでした。このことを通じて、私は真に認識しました。私達が真に師父を信じ、大法を信じていれば、邪悪は私達を敢えて迫害できないのです。

 当然、私はまだ多くの執着心があり、修めて捨てなければなりません。今多くの衆生がまだ救われておらず、私達の責任は大きいのです。今後も私は続いて努力して、正念を持って人心を修め、時間を無駄にせず、衆生を救い、師父が任せられた三つのことをよく行ない、先史に誓った大願を完成させ、師父に従って家に帰ります。

  2009年11月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/25/211363.html

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