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魔難は向上するチャンス、修煉の歩みを止めてはならない(二)


文/中国山東省の大法弟子 藍天文

(明慧日本)

  三、魔難の中で歩み続ける

 私が法を実証し、衆生を救い済度する修煉の道で精進しているとき、突然魔難が天から落ちてきました。何年も続けて私とうまく歩調を合わせてやってきた同修が急に亡くなりました。青天の霹靂のようでした。私はこんなに良い同修を失ったと惜しみながら、人の情が絶えず湧いてきて、涙が止まりませんでした。そのため、旧勢力に隙に乗じられて、もっと大きな難がやってきました。何日か経ってから、娘(他地区に住んでいる、同じく修煉者)が資料を配り、真相を伝えていた時に告発され、連行されました。そして不法に家を差し押さえられ、大法の本、コンピュータ、プリンタが奪われました。

 数年来、私はずっと平穏に歩いてきて、大きな難に遭ったことはありませんでした。たとえ監獄に入れられても、師父のご加護のもとですぐ出ることができました。しかし、このように心にショックを受けて、落ち着くことができなくなりました。主意識が弱くなり、自分をコントロールできなくなりました。私は娘の住むところの警察に行って釈放を要求しようと思いましたが、家族に反対されました。他の子供たちは、私まで捕まえられる恐れがあるからと、行かせてくれませんでした。大法の法理によれば、私は親として正々堂々と真相を伝え、娘の釈放を求めに行くべきですが、その時の考えは純粋ではなく、人間の情が重かったので、旧勢力の妨害が強かったのです。そうして、私はただ家で「発正念」をすることしかできませんでした。実はその時、正念を発しても、役に立ちませんでした。情にはまって抜け出せませんでした。邪悪は1万元近くをゆすろ取ったのに娘を釈放するどころか、1年の労働教養を下しました。

 夫は性格が内向的で、普段は娘に対する情が重いので、その時の彼は気分がとても悪かったのです。修煉はしていませんでしたが、パンフレットで迫害の残酷さと邪悪を知り、心配と憂鬱により健康だった体を少しずつ壊していきました。体の調子が悪く、全身がだるくて、おなかが痛んでいたようです。病院の診察を受けたら、腸癌だと言われました。家は天が崩れたように、めちゃくちゃになりました。私は「認めてはいけない、これはすべて真実ではない」という正念を強くしながらも、心の中では疑っていました。私は、旧勢力の按排を排除してくださるように師父にお願いをしました。師父は私たちに「一つも心が動じなければ、あらゆる動きを制することができるのです」(『精進要旨二・最後の執着を取り除く』)と教えてくださっているのですが、その時の私は人心が動いて、正念が足りませんでした。そのため、診査の結果は悪かったのです。私は何をしたらいいか分からなくなりました。

 大法の修煉は直ちに人心を指摘するのです。その人心がトラブルの中で現れたら、取り除くのです。道理は分かりますが、肝心な時になると、生死にかかわる正邪の大戦となり、正念が強ければ師父が守ってくださり、邪悪が自然に壊滅されるのです。一方、人心が強ければ、旧勢力が按排した道に入ってしまい、面倒なことを招いてしまうのです。

 肝心な時に、私は法を学ぶことを放棄しませんでした。繰り返し、師父がおっしゃった事を学びました。「修煉したければ、人間の情を捨てなければなりません」(『転法輪』)、「親族の情に執着するならば、必ずそのために疲れ、まとわり付かれ、魔がさして、その情の糸をつかんで一生をかき乱されるのですが、年を取って悔いたところで遅いのです」(『精進要旨・修者忌』) 私は大法が作りあげた生命です。師父がこの体を与えてくださったのは修煉するためであり、衆生を救い済度するためです。私の一生は師父があらためて按排してくださったのです。すべて師父に従います。邪悪は何ものでもありません。修煉を選んだ以上、真に最後まで修煉すべきです。しっかりしなければなりません。同修たちも私を励まして、助けてくれました。すべては師父が助けてくださり、私を迷いの中から抜け出させてくださると分かりました。

 私が家庭の魔難に囚われて抜け出せないころ、師父の『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』が発表されました。「億万年の按排では現在は最後の時刻になりました。歴史上、今日まで歩んできて、それは簡単なことではなく、様々な困難がありました」、「大法弟子には法を実証する使命がありますが、それをしっかり果すことができるかどうかも含まれています。喜ばしいことに、皆さんは乗り越えてきました。道程で皆さんがどのような困難に遭ったとしても、振り返ってみると、それは大法弟子に対する煉磨に過ぎず、過程の中で皆さんは成熟させられ、人心を取り除き、最後に圓満成就に向かっていきます。これは即ち、皆さんが歩んできた道です。振り返ってみると、このようなことにすぎません」、「自分を修め、あなたが思っている自分の苦痛と感情に対する衝撃、心性に対する妨害などこれらのことをすべて良いことだと思うべきです」

 私は涙を流しながら、繰り返し師父の法を読みました。師父はこれほどまでに優しく、慈悲で、字は巨大なエネルギーに変わり、私の頭の中に注がれ、旧勢力の按排を粛清してくださいました。この強大な正の場に溶かされて、私は目覚めました。私はすぐに元気を出して、内に向けて探すと、もう十何年も修煉してきたのに、まだ重い人の情を持っていることに気づきました。修煉は厳粛なことです、「この情を断ち切らなければ、修煉することはできません」(『転法輪』) 私はこの万古の機縁をつかんで、最後の時を大切にすべきです。残された時間は衆生を済度するために按排されたのです。救い済度されていない衆生はまだたくさんいるのに、私は情に囚われて、衆生を救い済度する時間を失っています。これは罪ではないでしょうか? やっと私はあらためて人を救うことに参加し、魔難から出て、前へ進むようになりました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/5/211430.html

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