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師父を信じ、大法を信じて、生死の関を乗り越える


文/中国の大法弟子 心浄

(明慧日本)以下、私が生死の関を乗り越えた体験について師父にご報告し、同修と交流します。

 私と夫は1995年に法輪功の修煉を始めました。当時、私たちの地区にはまだ大法を修煉する人がいませんでした。私たちは総站(学会に相当)の要求に従い、師父の説法ビデオを放送することを通して力強く法を広めました。大法の威力と師父のご加持により、大法は人から人へ、心から心へと伝えられ、1999年「7.20」前には地区全体ですでに3万人以上の人が大法を修煉するようになっていて、大型の煉功場所が何個か設立されていました。

 私は当時、修煉の概念についてまだはっきりしていませんでした。ただ大法はすばらしいということだけが、すでに私の心の深いところに根を下ろしていました。ですから、「7.20」のような厳しい形勢下でも、私は恐れていませんでした。警官が私を公安局に連行しても、私は絶えず警官らに大法のすばらしさを伝えました(当時は真相を伝えるという概念はありませんでした)。公安局の副局長は私の話を聞いてから、この功がこれほど素晴らしいなら、自分の母にも練習してほしい、と言いました。

 普段、私は至る所で大法のすばらしさを伝えていました。当時、多くの同修はみな私がしっかり修煉できており、大法に大きな貢献をした、と言っていました。これに対して、私は気になり、自分を厳しく要求するのではなく、かえって自分がよく修煉できていると思い、とても強い歓喜心が生じました。実際、その時は法を深く学んでおらず、悟性もとても低く、多くの人心を取り除かなかったのです。ひいては師父の説かれた法理をもって、自分の執着を隠していました。

 師父は『転法輪』の中で、「高い次元で修煉するようになると、特にわれわれの功法では、すべて自動的に、完全に自動的に修煉が進むことになります。自分の心性を向上させさえすれば、功が伸びますので、動作すらいらなくなるのです」と説かれました。私はこの法理で自分の惰性を覆い隠し、自分はすでに高次元にまで修煉したから、動功は少なくてもよい、ひいてはやらなくてもたいしたことはないと思いました。そのため、動功はあまり煉っていない状態でした。このように大法に対する不厳粛な、高慢な態度と盲目的な歓喜心が邪悪に隙に乗じられて、魔難に陥りました。

 2006年、私は深刻な病業状態が現れました。主な現れとして、長い間便秘になっていることでした。6、7日、ひいては10日に一回、やっと便が出る状態でした。同時に体は異常に太り、157センチの身長なのに、体重はなんと84キロにまで達し、しかもますます太る勢いでした。これに対して私は頭を悩まし、歩くのも、座るのも、寝るのもとても疲れていました。同時にお腹がますます大きくなってきて、身体に合う洋服もなくなり、体形が醜くなり、とても多くの人心が生じてきました。

 ちょうどそのおり、親戚が健康食品の販売に訪れました。もっぱら便秘とダイエットを治療するもので、その効果はいかに素晴らしいなどなどと話してくれました。これはちょうど私の執着心に合うものでした。そして、私はこの健康食品を受け入れました。健康食品は薬ではないから、修煉者も使えると自分に言い聞かせました。

 しかしそれを飲んで4日目、すなわち2006年4月21日、夜中に突然心臓病の症状が現れ、しかもとても深刻でした。心臓がひとしきりに狂ったように跳んだ後、ひどくぶるぶる震えました。最初、私は学法と煉功ができ、三つのこともできましたが、数日過ぎると、三つのことをやり続けることもできなくなり、その「病」はますますひどくなりました。ベッドから降りることができなくなり、少し動くと心臓が震えて耐えられなくなり、息も上がって来なくなり、ほとんど窒息するところでした。同時に人の声を聞くことが怖くなりました。人が小さい声でしゃべっても私には雷のように聞こえ、心臓は震えて狂ったように跳び、非常に辛くて、度々意識を失うこともありました。この時、私には恐怖心が生じ、家族が自分から離れることや、死を恐れる心も生じてきました。私の心が動じると、邪悪は私の執着心を口実に、私に対してさらにひどい迫害を加えました。

 一ヶ月間病床で苦しみましたが、状況は良くなる代わりに、ますますひどくなりました。とてももうろうとして、危篤状態に陥る時もしばしばありました。意識がはっきりするときに、私はしっかりと考えました。自分はよく修煉できていて、大法のためにも大きく貢献した、これほど長く修煉したのに、どうしてこんな状態に陥ったのか? 仕方ない状況下で、私は師父に助けることを思い出しました。そして、私は師父に「弟子にこの関を乗り越えるように助けてください」とお願いしました。

 このとき、師父の法は私の正念を開いてくれました。私の頭に突然、師父の説法が浮かんできました。「煉功の時にあれこれと妨害が現われてきた場合、まず自分自身から原因を捜し、まだ何か捨てなければならないものがあるのではないかと考えるべきです」(『転法輪』)法はすぐに私を目覚めさせくださいました。真剣に探してみたら、歓喜心、法に対して高慢な態度、常人のものを追及する心、特に魔難の中で、消極的に忍び耐え、死を恐れる心が生じ、自分を常人の次元に落としていました。これらを見つけた途端、私は冷や汗をかきました。何がよく修煉できていたのか、まったく自分のことがよく分かってない、自分に魔難をもたらし、旧勢力が按配した道を歩み、自力で抜け出すことができず、ほとんど自分でだめにするところでした。

 この時、私は悟りました。「自分は修煉者だから病気なんかない、さらに死ぬことはありえない。これらのすべては虚像であり、旧勢力の私に対する迫害である。これらを私は認めない、私の師父も認めない。たとえ私にもれがあるとしても、私のことは師父が按配してくださる。旧勢力よ、君たちには私に試練を与えるという口実で迫害する資格がない」と。私はとても心が痛みました。師父の慈悲なる済度に申しわけないと感じました。悔しく感じ、苦しむ状態で、私は黙々と師父に言いました。「師父、私は間違っていました。私はこうしてこの世を離れたくありません。なぜなら、みな私がよく修めていると言っているのに、もし私がこうして行ってしまえば、社会によくない影響をもたらし、修煉者の中でもマイナスの影響が及びますから。ですから、私は皆と一緒に円満成就したいです。もし、師父が私にこうしてこの世を去っていくように按配してくださったならば、私はなんの文句も、悔しさもありません。すべては師父の按配に従います」

 私が執着心を放下した途端、邪悪は解体しました。当時、「病状」が大分緩和されたと感じました。数日後、病状はすべて消えました。現在、すべては完全に正常な状態に戻り、体重は10キロ近く減っています。そして、私は以前と同じく、三つのことをしっかり行っています。

 私は大法の威力をとても深く、深く体験しました。師父を堅く信じ、大法を堅く信じれば、すべての難関は乗り越えることができ、自分の修煉の道を正しく歩むことができます。私は修煉の中、間違った道を歩んだことがありますが、師父のご加護の下で、こうやって病業を乗り越え、生死の関を乗り越えてきました。

 2009年12月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/1/213628.html

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