苦難な人生の道、輝かしい正法の道(一)
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文/蓮金春

(明慧日本)

 苦難な人生の道

 私は1999年に法輪大法の修煉を始め、今年(2003年)42歳になりました。私が生まれるとき、労働で疲れ果てた母親はオンドルの下で私を産んだあと、オンドルに腹ばいになりすぐに寝ました。性格が乱暴な父親は女を軽んじる人でした。生まれたのが女であることに腹を立て、糞を入れるかごの中に私を入れて、溝の中に捨てました。起きた母親は私を溝から抱きかかえて戻りました。それから私の苦難で不遇な人生が始まりました。

 いつも私は誰かとトラブルが生じるたび、誰かが肝心な時に私を守ってくれました。15歳ごろのある日、毛沢東が亡くなった日に、どこからか卵ほどの石が頭にぶつかってきました。かわす間もなく大きな音がして、頭が爆発するような感じがして失神しました。気付いた母親はとても焦りました。当時、誰も私をかまってくれなかったのです。なぜなら、みんな毛沢東のことで頭がいっぱいでした。2日後に私は目が覚めました。『転法輪』に書いてある唐山地震で別空間に行き生死をさまよって生き返った人のようでした。それから、私は人が死んだら何もなくなるのではなく、人は見えないところに行くのだと知りました。

 1996年の冬、過労で風邪をひき、流産しました。夜中に目が覚めると植物人間のようになり、全身が一枚の板のようでした。手足が言うことをきかず、何も感覚がなくなりました。もともと病気だらけで、泣きたくても泣くことができませんでした。それから、優しい夫は一切をいとわずに私の介護を始めました。その後、身体は動けるようになり、感覚が少し戻りました。しかし、重いリウマチにかかり、足先から頭まで痛くて仕方がありませんでした。長期にわたって大量の薬を服用したために、血管が破裂し大量の血が出ました。

 中国医学、東洋医学、産婦人科でいろいろな治療をしましたが、3カ月経っても良くなりませんでした。毎日、昼も夜も出血を止める薬を注射して生命を維持していました。家からは笑い声が消えました。夫は昼夜を問わず仕事と私の介護でとても忙しく、休むことはほとんどありませんでした。13歳の娘は家事をせざるを得なくなりました。

 ベッドに横たわってすでに4カ月あまり経ちました。疲れ果て、心配している夫と娘を見て、病気が治らなければ早く死んだほうが良いと思いました。毎日ベッドに横たわり、動けない日々が続き、出血を止める薬の作用が効かなくなると地獄のようで耐えられませんでした。生きていても夫と娘に迷惑になるだけです。私は見舞いに来た近所の人に葬儀の準備をするよう密かに頼みました。近所の人は寿衣を買ってくれました。

 私は泣きだしました。毎日何かにコントロールされているような感じがして、昼も夜も自分が死んだほうましだ、死んだらこうするああするという考えで頭がいっぱいでした。この世に生まれて生きていくことは何と苦しく、どんなに疲れることでしょうか。毎日同じ生活を繰り返すだけです。このときに大法に出会い、無上の宝ものである『転法輪』を得ました。

 大法が私を変え、縁のある人が大法を得た

 『転法輪』を読み始めた日、大法は私が一生の中で答えを得られなかった謎を解いてくれました。この本を読めば読むほど好きになりました。半日読むことに夢中でした。以前、手紙を読み終えることができず、目玉がとび出るような痛みを感じていましたが、今は全く痛くなく、目が非常に気持ちよいことに気付きました。効果がすぐに現れたことが嬉しくてたまりませんでした。続けて第三講を読んでいるとき、頭に大きな門が開いたように心が広々として、本に書いてあることをたくさん理解することができました。いつひざまずいて本を読めるようになったか気付きませんでした。両手で『転法輪』を抱きしめ、ベッドに腹ばいになって泣き出しました。泣きながら「師父、どこに行けばあなたにお会いできますか? 師父、私は家に帰りたいです。今日から法輪大法を学びます。修煉の道がどんなに険しくてどんなに長くても、最後まで歩み、師父と一緒に家に帰ります」と叫びました。

 その日から、身体が痛くなくなっただけでなく、激しく動いても血が出なくなり、身体が軽くなりました。法を学び煉功を続け、心性が向上するにつれて、胃の中の小さなこぶが全部なくなり、珪性(けいせい)肺塵(はいじん)症が治りました。気功を信じない夫がこの奇跡を目にして、師父と大法に感服しました。師父に助けられた恩は、どんな言葉を使っても自分の感謝の気持ちを言い表すことができません。ただ涙が止まりませんでした。

 大法は私の心を満たしてくれました。身体が健康になり、心は広くなりました。事に対する時や人に接する時は大法の基準である「真善忍」に従うようになりました。長年関係が悪かった義父と義母と仲良く接し、もう悪口を言わないことにしました。2人の老人を介護し、自分の悪いところを改善するよう懸命に努力しました。その結果、仲が良くなり、義父は「大法は素晴らしい」といつも口にしていました。

 仕事は、自営で数社の工場の商品を代理販売しています。修煉する前、借金の返済を遅滞し、金を返さないで得をするという良くない心がありました。今は自ら進んで各工場の借金をただちに返済しました。工場の人はこれを信じられず、とても不思議だと思ったようです。浙江省にある工場の幹部は、借金を返済するという手紙を信じませんでした。しかしその後、私からの借金が本当に送金されました。工場長はとても驚き、じきじきに遠いところから来て私に感謝を言いました。

 私は、「私の師父に感謝してください。師父の法理は私に、どんなことにも他人を先に思い、他人が受け入れられるかどうか、すべきでないことをしてはいけない、自分の物かどうかを考え、社会と他人にとって良い人になるように言われました」と言いました。工場長は「法輪功の師父は本当に素晴らしい。中国の半分の地域では、お金を返さないため私の工場は生産停止に追いやられています。もしみんなが大法を学び、あなたのように師父の話を聞き、他人のことを思うなら、私の工場の従業員はみな救われます」と言いました。

 工場長は師父に会いたいと言いました。私は師父の煉功学習ビデオを渡しました。工場長は「私が学んだら母と息子に教え、彼らに大法を学ばせ、師父について修煉します」と嬉しそうに言いました。工場長は本当に幸せです。少しでも多くのお金を稼げる方法はないかと思って来てみると、なんと真の修煉の法門に出会うことができたのです。

 政府に真相を伝えに北京に行く

 私は大法を学び、善良な人を目指して幸せに過ごしていたが、1999年7.20、江沢民をはじめとする政治集団は天を覆いつくすように法輪功を弾圧し始めました。私は中共の幹部らが、ただ師父と大法がどんなに素晴らしいか、大法弟子が善良な人を目指していることを知らないだけだと思いました。そして1999年9月、私は自分が大法を修煉して経験したことを政府に伝えようと思って北京に行きました。大法の本を読んで、本当に大法を理解し、大法弟子を理解してほしいと思ったのです。社会で自我や欲望のために争い、善良な人とはどんな人かを忘れた人たちに、修煉して道徳を向上する機会を与え、長年病気を患い苦しんできた人たちに健康な身体を与えるようにと、政府の幹部らに伝えたいと思いました。

 思いもよらないことに、まだ陳情所に着く前に、公安局員に逮捕され車に入れられ、大きな部屋に入れられました。その部屋には100人近い逮捕されたばかりの大法弟子が収容されていました。警官は私たちの名前と住所を聞きましたが、ポケットのお金を奪いませんでした。私の名前を聞いたとき、私は彼らに教えず、「大法は私の命を救った」と言いました。警官らは怒って私を罵りました。警官は他の人も名前を言わないのを恐れて、私を車に押し入れ、公安局に送りました。

 公安局の中は1人も制服を着ていませんでした。彼らの言うことと行動は、私に対する尋問の記録から判断すると、公安局員らしくありませんでした。彼らは汚いことを口にしてチンピラのようでした。彼らは順番に私を陥れようとしましたが、目的を達することができず、怒り出して私と師父を罵りました。スタンガンを何本も持って来て、お前を懲らしめると言いました。数人が探しに行きましたがやっと1本見つかっただけでした。彼らは続けて私を罵りました。

 夜中2時になり、上司のような中年の人が現れ「何時だと思っている? スタンガンは3階にある、早く持ってこい、必ず名前と住所を聞き出せ」と言いました。私は一度死んで生き返った人間です。死など恐れないと思いました。心の中で、私は必ず大法の正義を取り戻し、師父の無罪を取り戻し、法が正されない限り家に帰らないとしか考えませんでした。彼らは3階から帰って来て「スタンガンはすべて電池がなくなっている」と言いました。これは師父が私のためにしてくださったと分かりました。朝になり、彼らは私を三河市留置場に送りました。

 留置場に拘禁されて2日目、20人近い修煉者が来ました。私たちは木の板でできた一つのベッドで睡眠をとりました。どんなに狭かったか想像できるでしょう。ここはとても厳しい留置場で、女性刑務官は太って顔が黒い人です。彼女は人を殴るときに男と同じぐらい力が出ます。毎日彼女が現れると殴られるか罵られます。髪の毛の真っ白な老人も見逃しませんでした。庭で老人に跪かせて長時間苦しめました。私たちが煉功すると、刑務官は怒りまくりました。夜に煉功すると、警官は叫びながら、煉功している私たちに向けて窓から石を投げました。大きな石が私たちの耳をかすめるように次から次に飛んできました。しかし、動く人はいませんでした。彼らがどんな手段を用いても、どんなに邪悪でも、私たちは煉功を始めると、彼らに注意する人もおらず、みんな彼らを無視していました。数日後、彼らは仕方なく私たちに構わなくなりました。

 (続く)

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2003/9/20/57672.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/11/6/54244.html)     更新日:2011年12月9日
 
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