日本明慧
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すべての念を正す


文/中国の大法弟子

(明慧日本)ある日、私はハエたたきでハエをたたいていると、ハエが少しフタの開いた漬物桶に落ちるところでした。私は大声で「誰が漬物を取ってフタをかぶせなかったの」と言いながらフタをしました。このときお母さんが「あなたがかぶせたらいいでしょう。ぐずぐず言わないで」と言いました。

 「そうか、フタが開いているのを見かけたら、自分がかぶせたらすむのに、ぐずぐず言ってしまって、しかも怒ってしまった」と思いました。こんな小さな問題でも私心が暴かれました。

 普段、自分が良い事をするときや、他人の間違いを見て正してあげるとき、まず自分の意見を主張し、この事は私がやっているのであり、間違っているあなたを正したのは私であると言います。その後で、その行為をします。もし言わずに行った時は、行った後に自分がやった事を人に知らせます。家族に私がぐずぐず言う癖があると気付かせてくれましたが、今になっても直していません。

 『正見週刊』に掲載される古人の物語をいつも読んでいます。古人は道徳レベルが高くて、他人を手伝っていても報いを求めません。ある時は、他人を手伝ってから、相手が気づかないうちに、こっそり離れることもあります。古人に比べて自分は恥ずかしく思いました。彼らはなんといっても常人であるのに対して、私は修煉者で、常人よりもっと良く行うべきだと反省しました。

 修煉は難しいと言いますが、難しいのは自分の執着が見つからない、たとえ見つけても修めて捨て去ろうとしないからです。執着心を捨てるのはとても難しいことだからです。修煉は本当に厳粛なことで、一つ一つの念を全部修めるべきで、法で量って正すべきです。

 2009年12月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/22/214766.html

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