法を着実に学び返本帰真の道を歩む
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は中国共産党の虚言に騙されていました。法輪大法の真相を知る前、共産党の見方に同調し、大法に反対し大法を破壊していました。いま振り返ってみると、当時の私は本当に間違っていました。本当に恥ずかしく、師父にも大法にも申し訳ないことでした。
私は宗教を信じて3年後、2006年6月にやっと宗教から出て法輪大法の修煉を始めました。ある旧い同修が私を目覚めさせました。大法に出会った時、ある強大なエネルギーが私の全身を駆け抜けました。非常に暖かい感じでした。修煉後、私は心身ともに大きく変化し、病気だらけの身体が健康な身体になり、何の仕事もできなかった状態から何でもできるようになりました。大法は本当に素晴らしく、本当に見事だと思います。
私の心は非常に焦っており、師父の毎回の説法を一気に読み終えたいのです。毎回の説法を読み終えるまでに、師父の慈悲を深く感じて何度も涙が出ました。師父が説法で、初めから終わりまで、我々に教えてくださったのは、如何に修煉し、どんなことに遭っても内に向け、常人のすべての執着心を取り除き、自我を放下し、三つのことをやり、もっと多くの衆生を救うということです。毎回、法を勉強した後、衆生を救いたい心が焦りとなって、あちこちに行って大法を広め、法輪功が迫害されている真相を伝えました。ところが、他の同修は上手く真相を伝えられますが、私は上手くできませんでした。同修の経験を学んでもやはり上手く出来ませんでした。
ある年配の旧い同修は私に真相を伝えることを一時止めさせ、法を多く勉強させました。私は毎日法を勉強し、しばらくすると、私の焦っていた心が初めて落ち着きました。師父は『祝辞』の中で言われました。「法をよく学び、自らをしっかり修めていれば、正念はおのずと強くなり、大法弟子が行うべき事を必ず良く行うことができます」
グループで真相を伝えたことが2度あり、私も参加しました。私はただ正念を発しただけで、同修のやりかたを見ていました。後になって、私もできるようになり、修煉の道を歩む自信が強くなりました。
『オーストラリア弟子に対する説法』のビデオを見て、たくさん啓発されました。師父がおっしゃった全ては私の問題に対することだと感じました。私のこれまでの状態は大法を離れており、意気地がないと感じました。自分には共産党文化の影響がまだたくさん残っており、多くの執着心をまだ取り除いていません。慈悲なる師父の説法を聞いて、涙があふれてきました。私は再度目覚めました。慈悲の心を持って、落ち着いて人に真相を伝え、内に向けて、口論しないようにと師父は教えてくださいました。修煉の道で、放下したのは人間のもので、人間のものを放下してこそ、はじめて神の道に向かうことが出来ます。
私の夫は大法が受けた迫害に同情し、時々大法を広めています。しかし、彼はお酒を飲む事を放下できず、大法修煉をなかなか始めませんでした。私は毎日彼を諭し、彼に早く大法修煉を始めさせようとしました。ところが、私が勧めれば勧めるほど彼はさらに反発しました。私はがっかりし、勧めることを諦めました。
その後、私は師父の経文を一遍、一遍読み、多くの執着心を取り除きました。毎回読む時、相変わらず涙が出てきました。特に『マンハッタン説法』を拝読してから自分の情への執着はすぐに取り除かれました。執着心がなくなったとき、夫は修煉を始めました。私たち夫婦は毎日一緒に法を勉強し、精進しています。
師父の説法を勉強して、衆生を救う緊迫感を実感しました。多くの衆生はまだ虚言に騙され、多くの昔の同修はまだ目覚めていません。これらの人達は我々の済度を待っています。「実は全世界はすでに、一人ひとりの大法弟子によって一部ずつ請け負われ、この地球に現れたのですが、この地球の人はまた宇宙と対応しています。もしその人は法を得に来たのであれば、その人はその体系の衆生の代表となり、彼の背後に厖大な体系があります。その体系はまた粒子のように構成されており、そこで終わってしまうというわけではなく、その体系はさらにミクロ的なところでさらにミクロ的な厖大な体系があります。一人の神を構成する粒子はどのくらいあるのでしょうか? それらのすべての粒子はいずれも巨大で厖大な体系なのです。さらに高い次元に行っても、同じであり、絶えずこのように重複しているのです。地上ではこの世界にいる一人の人間だけなのです。大法弟子はこれだけではなく、一人ひとりはすでに大きな面積をカバーしており、中に多くの人が含まれています。大法弟子の心が落ち着いていなければ、周りの環境をも変化させます。あなたが恐れているとき、衆生もおかしくなることに気づきます。あなたが清清しい気持ちで、胸襟が広くなり、明るくなったとき、周りの環境も変化すると分かります。真相を伝え、法を実証する中で、皆さんが行っている事が困難に遭ったとき、自分を調整してみて、正念を持って問題を考えれば、かなりの効果を得られるかもしれません」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』)とおっしゃいました。我々大法弟子はどれほどの責任を負っているのか、考えさせられます。
同修達よ、引き続き緩めず衆生を済度し、師父の慈悲なる期待に背かないように頑張りましょう。
2009年12月31日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/27/215143.html)
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