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正念を持って、正しく行い、しっかり師父についていく

(明慧日本)私は年配の大法弟子です。法輪功の修煉をする前は、低血圧、腰痛、脚の痛みがあり、常に目眩がして吐いていました。そして、私の夫も元気ではなかったのです。

 1996年1月27日、私たち夫婦はある大法弟子に出会い、一緒に師父の説法ビデオを見に行きました。それから、家族全員が幸運にも大法を修煉するようになりました。その後、私は体中の病気がすべて治って、元気になり、数年間私に会っていなかった人は私に会うと、私が少しも老けていないといってくれました。

 周りの同修らに便宜を与えるために、私は自宅で集団学法をすることにし、常に4、5人の同修が毎晩我が家で一緒に学法しました。私はまたこの数人の同修のために、真相資料と真相紙幣を渡す仕事も担当しました。

 大法に対する迫害が始まってから、夫は修煉を放棄しました。彼は私たちが自宅で学法することは支持してくれましたが、私たちが真相資料を扱うことを恐れていました。私たちは毎回資料を分けるとき、彼を除いていました。一度、私たちがちょうど部屋で資料を分けていて、ベッドの上にはパンフレットと小冊子がいっぱい置かれていたとき、夫が突然部屋に入ってきました。私たちはみなびっくりしました。その時は発正念も知りませんでした。私は直ちに、彼にこれらの資料を見られないように、と心で思いました。その結果、彼は私と少し話してから出て行きました。私はほっとしましたが、なんと彼はまた帰ってきました。今回もベッドのそばで私と少し話をしました。そして、また出て行きました。本当に何も見えなかったようでした。

 その当時、同修がタイムリーに真相資料を受け取れるように、私は常に夜がまだ明けない内に、自転車に乗って、数十キロ離れたところに資料を取りに行きました。戻ってからはまた同修に資料を渡しに行きました。一度、私は住所がはっきりしない同修のところに行きました。しかし彼が住んでいるという付近でいくら探しても彼の自宅を探し出すことができませんでした。当時、私はこの同修を探せなかったら、その日私は家に帰らないと思いました。多分、師父が私のこの心を見て按排して下さったのだと思いますが、私はなんと帰宅するその同修の息子に会うことができました。

 消業の体験

 修煉を始めてから長い間、私は何回も業を滅する体験をしました。1997年のある日の午後、私が出店の場所で忙しいとき、不注意で鋭い刃物で左の掌を切られました。傷口は5、6センチの長さで、とても深く、血も大量に流れました。私は帰宅してから、ただ医薬用テープを貼り、それから煉功場所に行きました。当時お腹も痛く、目眩や嘔吐がして、座禅をしているときも傷口から絶えず血が流れていましたが、私はそれらを気にしませんでした。煉功が終って帰宅すると、その夜何ごとも起こらず、翌日私はいつものとおり、出店の場所に行きました。

 また一度、三輪車についている大きな木の箱の鉄片が、自転車に乗っていた私の右の掌に引っかかり、大きな肉の塊が削ぎ落とされ、血がどくどくと流れました。大きな肉の塊が落とされて、少しだけの肉が手首と手のひらをつないでいました。しかし、その三輪車に乗っている人はまったく気づいておらず、私も彼に呼びかけませんでした。ただビニール袋を探して、手を包んだだけです。家に帰ったら、家族は病院に行きなさいといってくれましたが、私は、これは業を滅することだと分かっていたため、ただバンドエードを貼っただけでした。そして、翌日になると筋肉は半分くらい再生していました。師父の加護の下で、それほどひどかった傷も3日で完全に治りました。

 2008年のある日、私は突然吐いたり、下痢したりして、3日間何も食べられなくなりました。最後には何かを食べると、何かを吐きました。吐いたのはすべて黄色の水でした。夫はびっくりして、私に病院に行くように言いましたが、私はきっぱり断りました。彼はどこにも行かず、自宅で私を見守っていました。私がだめになったら、すぐ120番に電話をかけると言っていました。3日過ぎたら、これらの症状はすべてなくなり、私はまた大きな関を乗り越えることができました。

 今年8月15日の午後1時、私は真相資料を受け取った後、家に帰っていました。私がちょうど三輪車に乗ったとき、後ろから車が走ってきて、私にぶつかりました。あまりにもひどかったため、私は三輪車の上に上向きになって、気絶してしまいました。その運転手は慌てて、車からおり、私を呼び覚まそうとしました。私は目が覚めたら、資料がちゃんと私の三輪車にあるのをみて、ほっとしました。その運転手は私をつれて病院に行こうとしましたが、私は彼に「私は大法修煉者です。問題ありません。行ってください」と言い、全身の苦痛に耐えながら、三輪車に乗って、家に帰りました。家族は私の様子がおかしいと感じていましたが、私は何も言いませんでした。中秋節だったため、私はまた家族と一緒に餃子を作り、夜には同修と一緒に学法しましたが、体は素早く回復しました。

 師父は私にこれほど多くのものを与えてくださいました。私は自分が師父の要求に比べてまだほど遠いと分かっています。今後の修煉の道のりで、私は更に勇猛邁進し、師父の要求される三つのことをしっかり行うように努力します。

 不適切なところについては、同修らのご叱正をお願いします。

  2010年1月20日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/14/216213.html

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