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自分の負担すべき責任を同修に押し付けてはならない

(明慧日本)ある日、同修は私に年配の同修の家へ行き、本を持って帰ってほしいと頼まれました。そこは遠くて辺鄙な農村でしたが、私はそこへ行き、2人の年配の同修と会いました。同修は熱心で、交流もとても望んでいました。話しているうちに、2人はご夫婦で非常に精進し、正念も強固であると気付きました。

  この数年、2人はずっと他の同修に法輪功の関連書籍を提供し、何回か邪悪に妨害されたこともあり、正念で乗り越えてきました。需要量も絶えず増え続けてきたため、また2人は妨害から逃れるため、都市から田舎へやって来て、必死で大法の書籍を作っています。現在は、供給不足の状況で、2人は毎日8時間、仕事をしていても、間に合わない時があると話していました。

  この何日かは機械が故障していて、私と交流する時間があると言い、短い交流の中で、私は年配の同修の正念はとても強固で、大法に対する信念も確固としており、その上、大法に対するこの責任感は、私は感動させました。私は心から敬意の念が生じ、そして、自分と同修との差をあらためて認識しました。

 家に帰って、私は周りの同修に年配の同修の状況を話しました。同修はそれを聞いて、現在、資料点もこんなに多くなり、周りにも本を作る同修がいますが、需要量がそんなに多くないため、今は中止していると言いました。私は心の中で、それならば、なぜあの年配の同修は需要量があんなに多いのか、しかも、あんなに遠い所でしているのか、もしかして、魔難に落ちているのではないかと考えました。

 翌日、私は田舎からやって来た同修と出会いました。同修は師父の経文4セットと『転法輪』十数冊が要ると、私に頼みました。その同修は私が本を作る同修と連絡を取ることができるのを知っていました。私は気にせず、あの2人の同修に頼もうとしました。しかし、よく考えてみると、年配の同修はあんなに忙しく、負担も大きいのに、私はまた2人に負担を加えようとしており、これは重い荷物を押し付けるのではありませんか。

 私は直ちに同修とこのことについて交流し、私達は年配の同修の苦境をすべて理解し、それは、われわれの依頼心からもたらされた結果であることが分かりました。今、多くの同修の家にはプリンタもあり、なぜ自分で本を作らないのか、私達はなぜ年配の同修のために考えないのでしょうか。

 私はこのことを書いて、みんなに注意を促したいと思います。法を実証し、全体が協力する中で、待つことなく、人に頼らず、大法弟子にはすべてそれぞれに引き受けるべき責任があります。自分の負担を少なくすれば、その分、他の同修は多く負担しなければならなくなり、自分の分を同修に押し付けてはなりません。そのようにすれば同修を妨害し、邪魔することになり、同じく、全体の正法の進展過程も遅れてしまいます。同時に、現地の協調人はこのことを重視し、良く協調すべきだと思います。

 自分のわずかの認識あり、間違ったところは同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2010年2月7日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/3/217450.html

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