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北京:中学校教師が迫害され死亡(写真)

(明慧日本)北京の法輪功修煉者・呉ヤオさんは、北京医学院大学付属中学の英語教師。法輪功の信条『真、善、忍』を信仰しただけで、中国共産党の残酷な迫害を受け続けた。2003年6月22日、労働教養所内で迫害を受けたことにより死亡した。

呉ヤオさん

 北京市海淀区に在住の呉ヤオさん(64歳女性)は、法輪功を修煉する以前は病弱で、心臓病、冠状動脈性硬化症、喘息、静脈怒張、頸椎の骨増殖症などの多くの病気を患っていた。

 呉さんは1996年に法輪功の修練始め、呉さんの病弱な身体は快方に向かい、短時間ですべての病気が治った。

 呉さんは自分が法輪功を修練して病気が治ったことを校長先生に伝えると、校長先生は喜んでくれた。そして日ごろの呉さんの勤務振りを評価し、学級主任に抜擢された。善い人を目指していた呉さんは生徒たちに好かれ、父兄にも好かれていた。

 1999年07.20、中共によって法輪功に対する迫害が始まり、呉さんはこの日から迫害の真相を伝え始めた。

 2000年2月12日、呉さん夫妻は国務院信訪所(政府陳情を受け付ける部署)に陳情に行った際、3人の警官に拘束され、夜半遅く釈放された。

 2000年3月17日、庭で煉功していたところ、警官に連行され1ヶ月間拘留され迫害を受けた。

 2001年4月8日、警官は呉さんの夫を強制連行した際、呉さんに対して「この次はおまえを連行する」と言い放った。この時から呉さんは「流浪生活」を余儀なくされた。

 2002年5月末、呉さんは警官に強制連行され、洗脳班に送られた。呉さんは絶食をもって迫害に抵抗し、一週間後釈放された。

 2002年10月、警察は呉さん夫妻を労働教養所に送るため、病院で健康診断をうけさせた。二人とも高血圧のため労働教養所は受け入れを拒否した。二人は12月になって再び検査を受けさせられたが、同じ結果が出たので再度受け入れを拒否された。

 2003年中国でサーズ(sars)が流行し、恐怖のあまり留置場は閉鎖され、呉さん夫妻は2003年6月11日、さらに市内に位置するほかの労働教養所に移送された。

 2003年6月22日、呉さんは長期にわたる迫害に耐え切れず、北京市労働教養所で死亡した。火葬する前、呉さんの友人が遺体を覗いたところ、化粧で隠しきれなかった唇が紫色に変色していたという。呉さんの子供の話によると、下着の左袖に血痕が残っていたという。

 呉さんの家族は警官に対して、遺体を火葬する前に三つのことを行なわせてほしいと懇願した。1、呉さんを収容した牢屋を調査させること。2、法医学者に遺体を検査させること。3、救命医療の記録を提示すること。

 これに対して、警官側は条件の交渉相手は家族に限定し、さらに呉さんの夫を牢屋に戻すという条件を提示した。これは事実上の交渉拒否であることを示していることが伺える。

 2003年6月28日、呉さんを火葬した際、末子の息子のみ別れをつげることを許したが、実子である他の3人の子どもには火葬の見送りを許さなかったという。

 2010年2月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/13/218094.html

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