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内に向けて探し、心性を高める


文/中国の大法弟子

(明慧日本)今日まで修煉してきましたが、私の周りにいる一部の同修は修煉がまだ分かっていないようで、真に理性的に法を理解しておらず、

 或いは自分を高めることに時間がかかり過ぎて、同じ次元で徘徊しています。私の修煉もよくできているほうではないので、この問題について体験したことを文章にまとめ、同修に参考にしてほしいと思います。

  大法弟子として、100パーセント内に向けて探すことはとても重要です。多くの同修も内に向けて探すことを語りますが、しかしどのように探し、何を探すのか、

 トラブルに遭遇したときは分からないようです。ある同修は内に向けて探しましたが、探し当てられないと言い、考えても分からないというのです。

 或いは仕方がない様子で「目が回るぐらい探したが、見つからなかった」というのです。そのようなとき、私がどのようにしたのかについて話します。

  第一、 大法弟子として、問題に遭遇したとき、まず「間違いなく私に問題がある、私は内に向けて探すべき」と思いました。この一念が大切です。

 もしこのように考えなければ、物事を論じてしまい、または相手の問題を山ほど探し出し、自己に理があることを実証するのです。私のように考えれば、心のバランスが取れるようになり、心が落ち着き、真に内に向けて探すことができます。

  第二、 トラブルに出遭い、相手の問題点を見つけたときは、その問題をもって自分に照らすべきで、自分にも同じような問題があるのではないかと探すことです。

 師父は『時間との対話』の中で、すでに説法してくださいました。多くのときは、相手の問題は自分の鏡なのです。なぜならば、世の中には相生相克の理があるからです。

 たとえば、夫が私と話すときの態度が悪いと思っても、その思いで自分を見たとき、自分もやはり夫に命令口調で話していました。このような例は多くありました。

  もし自分に問題がなければ、善意を持って相手の問題を指摘すべきです。(相手が大法弟子である場合) 相手が常人の場合、事実関係をはっきりと説明するのはかまいませんが、執着してはなりません。

 説明を聞いた相手が改めようとしなければ、私たちは話したことに執着して、再びこのことに関わってはいけません。

  第三、 トラブルに遭遇したとき、私たちはこのことについて、どのような念が働いたのかを考えるべきです。

 内に向けて探すということは、遭遇したトラブルについて探すのではなく、自分にどのような念が働いたのか探すことが重要なのです。

 放下していなかった常人の念を見つければ、その念を抑制し、もしもっとよくない観念であれば、その観念を強制的に変えなければなりません。

  一つ例を挙げましょう、ある日の飲み会で上司から酔った勢いで、私にこの前の仕事に誤りがあったといわれました。

 上司は誤解しており、私は内に向けて探そうという一念がありましたので、私の心は動じませんでした。

 そこで師父が啓示してくださり、一つのことを思い出しました。それは私が会社の同僚にこの上司はとてもよい上司で、ここがいいとか、そこがいいとかよく褒めていました。

 実は常人である上司がいいかどうかが、私に何の関わりがあるでしょうか? しかも上司に対する判断の基準は常人の認識なので、「真・善・忍」に基づいていないのです。

 この出来事は、私が常人の良し悪しに執着することから招いたトラブルなのです。

  第四、 自分の執着心とよくない観念を見つければ、強い意志で取り除くよう努力しなければなりません。長期にわたり形成した観念であれば、取り除くためにある程度の過程が必要で、常に自分に注意しなければなりません。

 たとえば、以前、私は学生さんに真相を伝えていたとき密告されて迫害を受けました。そこで一つの観念が形成されました。

 それは「面と向かって真相を伝えるのは危険だ」という観念でした。その後数年にわたり真相資料の投函に専念し、面と向かって真相を伝えることを恐れていました。

  後になって学法を通して「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。

 肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」(『二〇〇二年ボストン法会での説法』)と分かりました。そして以前に発生したことは、自分の執着心によるものだと分かりました。

 法理は理解したのですが、形成した観念は頑固なものとなっていました。ですから観念を取り除くときは、いっぺんに取り除くことができないので、少しずつ取り除くしかありません。

  だから取り除かれたと思っていても、また現れることがあり、面と向かって真相を伝えようとすれば、また現れるのです。

 最近、これに関連する師父の説法を暗記していますので、この観念はかなり弱くなりましたが、根本から取り除くまでに至っていません。

 この実例を挙げたのは、執着心を見つければ、よくない思想を抑制し、強い意志で取り除く努力をしなければならないことを言いたかったのです。そうでなければ、認識できたことに留まり、自分は修煉していないということになります。

  第五、トラブルに遭遇したときは、もちろん内に向けて探すのですが、もう一つ大事なことは、そのトラブルを気にしないことです。

 師父がおっしゃいましたように「羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています」(『転法輪』)

 羅漢は三界を出て最初の果位です。大法弟子は自分に対してもっと厳しく要求し、常人の中のどんなことも気にせず、にこにこしているべきで、トラブルを大事に見すぎてはなりません。

  第六、法を暗記することは重要ですが、『転法輪』だけを暗記してはいけません、経文も同時に暗記することです。

 法を暗記するとよいことが多く、もっともよいことは法に基づいて行動することができ、法を持って師にすることができるからです。

 一言付け加えるとすれば、法を暗記するときは全神経を集中させなければなりません。暗記した法を暗唱するときは、神経が緩みやすのです。

 暗唱するときは、一字一字が目に現れるようにすれば、神経を集中しやすいのです。そのとき真に自分が法を学び、自分が法を得るのです。

  以上、私が心性を高めたときのことについて、私の認識をまとめました。私の周りにいる同修は真相を伝え、発正念がとてもよくできています。

 しかし、家族との難や経済上の難について、乗り越えるのになかなか時間がかかりすぎて、中には数年経っても乗り越えられない人もいました。これらの難に妨害されて、時間を無駄にしているのです。

 そこで自分の体験を書き出し、同修の参考になれば幸いです。私の修煉は精進している同修と比べれば、よくできているとはいえません。

 しかし私の修煉の道において、師父が啓示してくださり、明慧ネットへ投稿してくださった同修の手助けもあって、今日まで歩むことができました。

  以上は私の体得ですが、次元は限られています。

  2010年2月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/16/218278.html

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