日本明慧
■印刷版   

法を正す基点に立ち、内に向かって探す


文/中国の大法弟子

(明慧日本)

  一、積極的に全体に溶け込む

  私はこれまで中国共産党に数回迫害されました。邪悪の迫害を打ち破ることについて「自分がよく学法して、内に向かって探し、執着を取り除き、修煉がよくできれば、何も起こらない」と考えていました。私は三つのことを行い、グループの学法にも参加していましたが、しばらくしてから、私は心の中に強大な正念がなかなか持てないと感じ、特に安逸心を突破できず、朝は時間どおりに起きられず、また家事によく邪魔されました。

  ある同修に会うと、彼女は「表になかなか出て来ない同修が表に出れるようにするため真相を伝えるメールの送信方法を教えてあげてください」と言いました。そのとき、自分のよくないところが瞬時に分かりました。

  日曜日の午後、私は同修を誘って一緒に表に出たくない同修に会いに行きましたが、彼女がいなかったため、私たちは路上で資料を配り、三退を勧めました。帰宅後、私は突然ある部分を突破したように感じました。この前の考えは師父の要求に適うでしょうか? 明らかにそうではありません。早期に師父は、私たちのグループ学法と煉功と発正念を要求され、後になっては、全体の協調の問題についてよく言及されました。師父は『転法輪』の中でも次のようにおっしゃいました。「最後には万に上る脈を一面につないで、身体全体が一つにつながるような、脈も無くツボも無い境地に達する、これが脈を通すことのめざす最終的な目標です。その目的は人の身体をすべて高エネルギー物質に転化させることです」 師父は私たちの全体の向上と昇華を待っていらっしゃるのではないでしょうか?

  私は全体に溶け込むべきだと覚悟しました。私たちは大法の一部分で、法を正す進展に緊密な関係があります。法を正す一つ一つの粒子の間にも密接な関係があり、他の同修のことはあなたのことであり、あなたのことは他の同修のことです。自分の修煉がよくなければ、他の同修に影響を与え、全体に影響を与え、法を正す進展に影響を与えます。そして、全体に関心を持たず、個人の修煉だけを行うことは私心であり、旧宇宙の生命の特徴です。全体を離れたなら、邪悪にさらに容易く迫害されるのではないでしょうか?

 覚悟ができた後、私は積極的にまだ表に出て来られない同修に会ったり、魔の巣窟から帰って来た昔の同修を気にかけたり、皆を呼んで真相を伝えるための粘着シールを作ったり、正念で毎日の発正念リレーを加持したりして、同修一人一人のことを大法のこととして扱いました。

  二、本性と執着をはっきり見分ける

 修煉は特に内に向かって探すことです。私は時々自分の執着心を見つけましたが、それを取り除くことはなかなか難しくて苦しく、長い間取り除くことができませんでした。師父の『転法輪』の「佛性」の中の説法を思い出すと、執着や観念は後天に形成されたもので、自分の本性ではないと悟りました。それから、執着あるいはよくない考えが現れると、これは私ではないとはっきり見分けて、すぐ取り除きました。

 最近は、同修の執着を見ると、自分は内に向かって探さなければならないと意識して、正念で同修を加持しました。同修の執着も善良な本性ではなく、私たちは正念を持って共に排除しなければなりません。このようにはっきり見分けた後、同修を見ると、同修の執着に動揺されませんでした。

 修煉しない常人に対しても、常人のよくないところはその人自身ではなく、たとえ迫害する人でも邪悪の霊にコントロールされ、或は後天の観念に左右されていると考えれば、常人にも動揺しません。

  三、法を正す基点から内に向かって探す

 私は同修に「夫は私が時間の無駄遣いをしていると言いました。私は学法が時間の無駄使いではないと言いましたが、彼の言葉がますます聞き苦しくなりました。その後、これは人に言われたくないと言う私の心を修めているのではないかと思いました」と話すと、同修は「それはあなたに時間をしっかりつかんで早く衆生を救い済度してくださいと話しているのではないでしょうか? 個人修煉の範囲の中で内に向かって探しても、旧宇宙の私から抜け出していません」と言われて、私ははっと悟りました。

 周りの同修の中には、身体上あるいは生活の中の魔難を長い間取り除くことが出来ず、業を返すために、魔難を受けなければならず、あるいは、ある心を除かなければならないなどなどと考えている同修がよくあります。考えて見ると、私たちの貴重な時間は何のために使われているでしょうか? 衆生を救い済度することではないでしょうか? 法をよく勉強し、自分をよく修めることも衆生を救い済度することではないでしょうか? 法を正す時期での修煉、そして重大な使命を負う修煉に何を放下出来ないでしょうか? 衆生は私たちの救い済度を待っているのです。振り返ってその執着を見ると、すぐ放下できました。衆生を救い済度する妨害をすべて解体し、私たち自身の執着も含め、法を正す時期の機縁を大切にしましょう。

  次元に限りがあるため、慈悲なる指摘をお願いいたします。

  2010年2月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/18/218393.html

■関連文章