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広くて平坦な、無私の心を維持する


文/中国の大法弟子

(明慧日本)夫はいつも私に対して「あなたは私のいいところを見ないで、あら捜しばかりして、いつも、これはよくない、あれもよくないと言う」と言います。私は夫のこんな言い方がとても嫌で、「私はあなたを直してあげているのですよ。だからあなたと時に突っ張ったり、わざと張り合ったりしているのに、あなたは話を聞いてくれない」と思う時もありました。

  昨夜、私は夢を見ました。その中で私は夫の大きな靴を履いていました。目が覚めてから、「靴」と「邪」は同音であることに気付き、私は夫と同じ欠点があるのではないかと、早速、内に向かって探してみました。

  師父は「相は心から生じる」(『大紀元会議での説法』)とおっしゃいました。今朝、突然思い付きました。夫は私の鏡であり、夫が私の間違っているところを指摘すれば、私は直すべきで、無条件で受け入れ、正すべきです。実は私と夫は同じような欠点があると思います。すなわち、他人の欠点だけを見ているのです。夫が私の足りないところを指摘すると、私は夫があら捜しをすると言いますが、これは同じく人の観念ではないでしょうか? 私は後ろで、やぶにらみをして、夫の指摘を放置し、甘んじて受け入れようとせず、甚だしきに至っては愚痴を並べます。この境地は、夫と比べてまだいくらか高いのでしょうか?

  師父は「いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか?」(『マンハッタン説法』)とおっしゃいました。師父は私達に常に大法の一粒子として、敬虔で、広くて平坦で、無私な心を維持し、無条件で他人の指摘を受け入れ、同修や常人に対しても同じように対応し、内に向かって探し、常人の心を取り除くように要求されています。人心が少なければ、次元もそれだけ高いのです。私はその時、やっと本当に何か広々とした豊かな心を体験し、まるで、あの素晴らしく、神聖で純潔な蓮の花を見たような心地がしました。

  2010年2月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/22/218565.html

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