日本明慧
■印刷版   

ある村医師の修煉(三)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)書記の病気が治った直後、書記と一緒に私を殴った村長が肛門潰瘍を患い、病院では治療できないと言われ、とても苦しんでいました。村長の再婚した妻が私に診てほしいと頼んできました。私は3か月かけて村長の病気を治しました。この事は噂となり広がりました。村人の多くは母親を殴り殺した人に病気治療をすることは理解できませんでしたが、私は法輪功修煉者であり、良い人としてすべきことをしただけだと話しました。

 三、迫害に遭っても心は動じず、正念をもって衆生を救い済度する

 1999年7.20の午前、私は妻(修煉者)、年寄りの同修と一緒に坐禅していました。娘が学校から帰って来てから、学校では法輪功が否定され、デマが飛ばされていることを知らされました。村のスピーカー放送でも大法を批判する宣伝が流されていました。天が一気に崩れ落ちたような感じでした。しかし、私と妻は恐れることなく、大法を得たのですから、たとえ死んでも構わないと思いました。

 弾圧が始まってから、私は地元で迫害対象リストの中でも、重要人物としてマークされていました。毎日のように派出所、610弁公室の人が訪ねて来ます。そのころは全く気にしませんでした。法輪功のことについて誰が質問しても、私は修煉する前と後の体の変化、心性の向上、さらにトラブルに遭ったら自分の内へ向かって探すという法輪功の教えなどを話しました。

 あるとき、派出所の所長が私に対して、よその村の特定の人と今後会わないことを約束する用紙に署名するように要求したとき、私はその通り署名しました。派出所から帰るとき、署名したことは修煉にとって不名誉なことだと悟りました。私はおお泣きして「師父! 弟子は間違いました、署名することはまさに邪悪に投降することになるのではないでしょうか」とつぶやきました。家に着いたあと師父の肖像の前で、「今後また署名し、大法に不利なことをしたら、死んでも悔いません」と誓いを立てました。

 その後、私は特定の村の同修とずっと連絡を取り、いろんな真相資料と大法の関連物品をもらいました。妻は真相資料と大法のお守りを配り、私は真相を伝えています。患者の病気を診るときに出会った縁のある人に真相を伝えたり、あるときは真相を書いた手紙を送ったり、真相チラシを貼ったりしていました。もし正念が強ければ、真相チラシは半月も貼ったままはがれることがありませんが、正念が不足しているときは、二日目ではがされます。私は妻と協調しあって、師父の慈悲なるご加護のもとで今日まで歩むことができました。

 『共産党についての九つの論評』が発行された後、私は人々に中共の邪悪さと中共関連組織から脱退する必要性を伝えました。多くの人は受け入れ、三退に応じました。

 (おわり)

 2010年2月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/6/217633.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/2/24/114903.html

■関連文章