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在日の元清華大生、学友が受けた迫害について語る

(明慧日本)柳志梅さんという賢くて優れた才女が、法輪功の修煉を堅持しただけで、精神異常になるまで迫害を受けた。清華大学の学友である馬艶さんは「先日、柳さんが釈放されたという情報を明慧ネットで知りました。柳さんの迫害後の悲惨な姿を見て、心を痛めました」と語る。

 馬さんは大学に在学中、1998年7月に法輪功の修煉を始めた。馬さんは清華大学建築系の94期生で、のちに同大学で人文学院伝播学を学び、二位の成績を残した。現在は日本で働いている。

 善良な人が迫害により悲惨にも廃人に

 2001年3月、柳さんは法輪功を修煉しているという理由で、学校を強制退学させられた。その直後に北京で警官らに強制連行され、12年の不当判決を受けた。そして、山東省女子刑務所に収容され、迫害を受け続けた。2008年11月、釈放される直前に毒薬を注射され、家に戻った3日後に発作が起き、突然異常な行動をするようになり、つじつまの合わない話をしたり、踊ったり、記憶を失うなど、状態は日増しに重くなり、未だに回復の兆しが見えていないという。

 大学時代の学友の話によると、「柳さんはとても純真で善良なうえ、性格は明るく活発な子だった」という。柳さんをよく知る法輪功修煉者の話によると、「柳さんは謙虚な人で、自分を誇示するようなことはなく、純真でありながら自分の考えをしっかりと持っている人」だという。

 田舎出身の柳さんは、山東省一番という成績で清華大学に入学し、多くの人に羨ましがられていた。このような優秀な人が自分の信仰を堅持しただけで、学校を強制退学させられ、警官に強制連行され、北京留置場で拷問を加えられ、山東省女子刑務所で拷問や洗脳による「転向」を受け、無数の非人道的な迫害を受け尽くした挙句、最後に毒薬を注射され、口封じさせられたのである。

 素晴らしき追憶

 法輪功が迫害を受ける以前は、清華大学の構内に10数箇所の煉功場所があった。雨の日も、風の日も、厳寒酷暑の日も休むことなく、毎日早朝5、6時ごろ大学構内の至るところに心地よく優雅な煉功音楽が聞こえてくるのである。その時期に修煉を始めた法輪功修煉者にとって、素晴らしき追憶であるに違いない。

 馬さんは柳さんとの関係について、「迫害される以前は柳さんと同じ煉功場所にいたので顔を知っていましたが、名前は知りませんでした。お互いにどの学科の学生なのかについては話したこともなく、煉功が終わればみながすぐ帰っていました。迫害が始まってから、学校は法輪功を修煉している学生を集め、法輪功の修煉を放棄するよう会議を開いたとき、初めて柳さんの名前を知りました。私の印象の中で柳さんはまじめな女の子で一番若く、法輪功に対する信念が揺るぎない様子だったのです。外見はか弱そうに見えますが、強い意志を持った人に見えました。そのとき、柳さんの名前はよく似合っていると思いました。外見はまさに柳のようで美しく、内心は梅の如く節操が固いのです」と話した。

 清華大学の学生は何度も迫害を受けている

 馬さんは「私は迫害の当初から留置場に拘禁されていたため、柳さんについての消息が途絶えました。珠海留置場で拘禁されていた間は強制労働、洗脳教育、睡眠をとらせないなどの迫害を受けました。警官らはあらゆる方法を講じて法輪功修煉者に迫害を加えました」と語る。

 「その後、私は2年の実刑判決を受けて刑務所に収容され、残酷な拷問を受けました。私は釈放された後、明慧ネットで知ったのですが、清華大学で法輪功を修煉している学生が相次いで強制連行されていたことが分かりました。拘禁された学生は皆それぞれ、長期の実刑判決を受け、柳さんは10数年の実刑判決を受けていました。柳さんのことを心配していましたが、消息はつかめませんでした。ただ、10数年後に釈放されるだろうと思っていました」

 「柳さんが農村から一流大学に入学したことは、そんなに簡単なことではありません。しかし、柳さんは自分の信仰のため学位を放棄し、修煉しないという『保証書』を書きませんでした。中国共産党による拷問、家族による圧力は大きかったでしょう。とても悲しいです」と、馬さんは話す。

 中共は柳さんに対する迫害事実を暴かれることを恐れ、毒薬を注射させ、何もかも忘れさせようとした。中共の法輪功に対する迫害はこれほど残酷を極めている。それは、柳志梅さんの例からも見てとれるだろう。

 2010年3月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/14/219716.html

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