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難関に面して、師と法を忘れていないか


文/中国の大法弟子・蓮子

(明慧日本)修煉をする中で、誰でも難関に面したことがあります。それを乗り越えることを、上手くできた人もいれば、なかなかできず、さらにそのまま反対に走った人もいました。私はあまり良くない方だと思います。私の周りの同修は心にずっと師父と法がいて、大法弟子として印象がとても強かったのです。

 ある70代の女性法輪功修煉者の話です。ある夜、彼女は主人と孫と一緒に寝ていました。朝起きた時、主人と孫は一酸化炭素中毒になり、呼んでも反応がないことに気づきました。すぐに自分の息子を呼んで、主人と孫を病院まで運びました。点滴が始まると、息子が「母さん帰っていいよ、僕がいますから」と言いました。彼女は家に戻ってすぐに片づけて、ご飯を作り始めました。昼に息子が帰って来て、「母さんも一緒に寝たのになぜ中毒にならなかったの?」と聞きました。彼女は「お父さんたちは私と比べることができないのよ。だって、私は師父にご加護されているもの」と答えました。

 もう一人の同修ですが、いくら迫害が厳しくなってもずっと「法は想像できないほど大きい、邪悪は取るに足らない存在だ」と言います。この固い信念を持って大法のことをしっかりと行い、大きい妨害と迫害にも遭いませんでした。

 ある理髪店の同修ですが、毎日正々堂々と仕事をしながら真相資料を配って、たくさんの人を救いました。北京オリンピックの時に、市町村の幹部がやって来た時、同修は「もうここに来ないでください。私は修煉者であなたにたちが迫害することはできません。私は師父の弟子です」と言いました。本当にそれから誰も来なくなりました。

 最初に話した70代の同修は、普段高い法理のことを口にしませんが、一酸化炭素中毒の事件について、「私は師父が守ってくださっているから何の危険もありません」と話しました。一念は大法弟子にとってなんと重要なことでしょう。彼女は大法弟子であり、師父に守られ、この世の誰が彼女とくらべられるのでしょうか。これこそ大法弟子としての誇りではありませんか。これこそ偉大で慈悲な師父の弟子としての純粋、純朴な正念ではありませんか。また「この法は想像することができないほど大きい…」と言った同修は、大法が彼の心の中で無限に大きく、邪悪は小さくて無視できるものなのです。この強大な正念を前に邪悪は何をすることができるのでしょうか。理髪店の同修は、正々堂々と真相を伝え、「私は師父に按排されているから」と言って、心の中にはきっと師父と衆生がいます。この念があって、修煉の道で何が阻害となるのでしょうか。

 このような例はたくさんあります。例を通じて私は豁然と悟りました。修煉の中で、何かにぶつかった時に師父と法を思い出して、師父に要求されたことを行い、いつも師父と法を思っていれば、誰にも動じられません。

 「もし困難の前で、念が非常に正しければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、(拍手) 邪悪に利用された人がすぐに逃げてしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます。正しい信念というこの一念だけですが、この正念を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです」(『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」)

 修煉は難関に当たることがあります。難関を乗り越える時に正しい念、正しい行いができるかどうかは、心に師父と法があるかどうか次第です。自分の道を振り返って見ましょう。難関を乗り越える時、心の中に師父と法がいましたか?

 素朴な認識であり、正しくないところはご指摘をお願いします。

 2010年3月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/14/219752.html

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