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遼寧女子刑務所の迫害により女性法輪功修煉者が死亡(二)

(明慧日本)

  二、馬三家労働教養所で 受けた迫害

  馬三家労働教養所の2班に送られた史さんは、信仰の権利を守り絶食をもって迫害に抗議した。警官の吉利は史さんを事務室に呼び、もう1人の警官とそれぞれ1本の高圧電気棒を手に史さんに電撃した。史さんの 身体は激しくぶるぶると震え上がり、その上10時間以上たたされた。彼らはあらゆる手段を講じて法輪功修煉者を迫害した。

  ある日の夜、警官は受刑者に指図して、史さんをトイレに引きずり出し、モップを汚水につけ史さんの顔や頭部をこすり、鼻や口に押し付けたので、史さんは呼吸ができなくなり、大きく呼吸したとき汚物を飲み込んだという。

  あるとき、警官の吉利は3人の警官に電撃棒を持たせて、いっせいに掌や土踏まず、顔と口に電撃を加え、「お前が服従するまで電撃し続ける」とわめいた。史さんは心臓が飛び出すような衝撃を受けた。ちょうどそのとき3本の電気棒が一瞬停まったが、警官はあきらめずに電気棒を充電し始めた。その間、警官らは史さんに歩くように命じ、史さんが歩けないのを見て、今度は這うように命じた。

  史さんはその命令を拒否したため、警官の吉利は受刑者に命じ、史さんを起こして階段をひきずり上り下りさせた。 このように1カ月間迫害された後、史さんは1班に送られ、更なる残酷な迫害を受け続けた。

  1班は法輪功修煉者に2人の監視(受刑者)をつけ、食事、歩行、仕事、トイレ、寝るときなど、どこへ行くにも離れることなくついてきた。警官はその2人に権限を与えているので、法輪功修煉者への体罰や暴力などをいつでもできるため、史さんの両手を壁に叩きつけ、両手を縛りつけ一晩中寝ることを許さなかった。

  その2人は翌日警官に史さんがトイレで寝ていたと嘘の報告をしたため、史さんは警官に事務室まで呼ばれ裸にされて、両手を背中に回し.手錠をかけられ 電撃棒2本を使い酷い虐待を受けた

  ある日、煉功していた史さんは張に呼ばれて。又も事務室で裸にされ、その上両手を背中に回して手錠をかけられ、張は2本の電撃棒で史さんの顔や腰を電撃した。張が疲れると受刑者を呼び電撃を続けた。張はほかの法輪功修煉者を隣の部屋に呼び史さんの悲惨な叫び声を聞かせた。史さんの顔は腫れ上がり、腰の痛みで歩行困難な状態に陥った。

  史さんはこのように馬三家労働教養所で2年間迫害された後、2001年10月23日地元の警官が迎えに来た。労働教養所を出る際、灌食の費用として600元を払わされ、「煉功しない」「陳情にいかない」という誓約書を書かされた。

  釈放されてから6日目に、史さんは公園で煉功していたところ、警官らに強制連行され、葫芦島留置場で1カ月迫害された後、3年の労働教養刑を科され、再び馬三家労働教養所に送られた。

  1カ月の間、肉体的な迫害や精神的な迫害に耐え切れず「転向」に応じ修煉しない保証書に署名した。その後、訳の分からない涙をよく流して、精神病院に入れられ、不明な薬を飲まされた。

  三、不当に実刑7年を科せられる 

  史さんは2008年8月2日、迫害の真相資料を配布していたところ、当地の警官にその場で強制連行された。警察は家族に何の連絡もしないまま、不当に労働教養7年の刑を科し、遼寧女子刑務所に送り迫害した。

  当地の警官は2008年10月21日、史さんの息子を強制連行し、個人財産を強奪した。息子は馬三家労働教養所に送られ迫害された。

  残念なことに史さんは度々の迫害に耐え切れず、遼寧女子刑務所で生涯を終えた。情報によると友人が遼寧女子刑務所に行き、史さんの死後処理をしたという。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 (完)

  2010年4月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/23/220263.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/3/29/115681.html

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