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修煉はいつも正念を持つべし

(明慧日本)師父が法を伝えられて十数年、旧勢力の迫害も十年あまりになりました。今日まで歩んだことは本当に容易なことではありません。十年来すべての真に修める大法弟子はみな苦難を嘗めました。今は邪悪が少なくなり、1999年「7.20」のような環境ではなくなり、プレッシャーが軽くなるにつれて大法弟子は以前のような精進状態がなんとなく緩みました。衣食に困らず豊かな環境で怠慢の心も生じました。煉功や学法も少なくなり、責任感もなくなりました。最近、一部の地区は迫害がひどくなり、数年来無事だった同修もかく乱されたのは私たちの警戒心がなくなったからです。

 修煉は上流に向かって泳ぐことで、進まなければ後退になります。迫害は人が人に対するものではなく、旧勢力が法を正すことを口実にして法を乱す行為であることをはっきり認識しなければなりません。今は旧勢力、邪悪な卑しい鬼は確かに少なくなりましたが、これは私たちが油断する理由でもあります。私たちがもっと努力すれば、邪悪が早く消滅されるはずです。

 「もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです」(『各地の説法二』「米国フロリダ法会での説法」) このため、いかなる状況においても油断してはなりません。ゆったりした環境を、常人の心が生じる土壌にしてはなりません。

 「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)と、師父は言われました。修煉は人心をなくすことです。人心が少なくなれば、身体と考えも超常の状態になることができます。こうして初めて、真相を伝え、衆生を済度することができます。しかし、一部の同修は修煉状態がとてもよくなく、朝から晩まで働き、心身ともに疲れ果てて、どうしようもない状態です。なぜでしょうか? 修煉者はいつも正念を保つべきで、心を法に置かず、自分の情欲、執着に導かれて、自分が大法弟子であることさえ分からなくなれば、旧勢力が下に落さないわけがないではありませんか。たとえこれらの常人のことをしなければならないとしても、あなたが法を正すことをしたいという、純粋な心でいれば、すべてのことがあなたに道を譲るはずです。

 法を正すことは宇宙中で最も大事なことです。心が正しければすべてが法を正すことに道を譲ります。食事のときも、寝るときにも発正念のことを思っていれば、邪悪は妨害しないはずです。もし、常人の中の欲望に執着すれば、邪悪はずっとあなたを忙しくさせて、修煉者でなくなるまで迫害します。師父が私たちのために按排された修煉の道は、私たちの世界を規正する過程です。執着を放下しましょう。いつも正念を持つことでしか、旧勢力の按排を否定して、法を正す道を正しく歩むことができません。

 もう一つは、刑務所の中にいる同修の正しい念と正しい行いについて話したいのです。刑務所は魔窟であり、邪悪と卑しい鬼の集まるところですので、最も正念を発揮しにくい場所です。師父は、すべての大法弟子を天竜八部の神々が加護しているとおっしゃいました。しかも師父の法身もおられて、私たちの神通功能も強いはずですが、なぜ邪悪に迫害されるのでしょうか? 原因は人心を放下しないことです。刑務所の中で迫害されて亡くなり、障害者になる人もいれば、神通力を使って法を実証する人もいます。この差は人心の有無によるのです。確かに一部の人は生死の念を捨てたのですが、迫害された最も肝心な時に人心の強がりで耐え、師父と法を思っていませんでした。

 私も刑務所に拘禁されたことがあります。刑務所の中で迫害されて死にそうになった時、その数日中、私はいつも、まだ死んでいないのか? と思いました。私はいよいよ駄目になるときにやっと法を思い出し、世間にたくさんの人が救われることを待っているのを思い出して、家に帰らなければと念じました。この念が湧いてきて、3日後に釈放されました。簡単です。大法弟子の念が決めたのです。死さえ怖がらないのであれば、なぜ「法」をもって法を実証しないでしょうか? 迫害されて死んだ同修は人の観念を持って法への信を拒みました。自分が神通を持っておらず、自分がただの人間であり、修煉の道を歩む神ではないと思っていたのです。

 西遊記の中で、三蔵法師が天河を渡る時に乗った船は底がなかったのです。しかし、佛に対する固い信念を持って、彼は迷わずに乗りました。修煉者だからです。もちろん孫悟空にしても躊躇はないはずです。同じく、迫害されて死にそうになった時にあなたは自分が大法弟子だと思っていましたか? 殴打された時に抵抗する勇気がなくなって師父のことを思い出しましたか? 師父に助けてくださいと願いましたか? 自分の功能を利用して迫害を制することを思いましたか? 思わなければ心に不安があったのです。師父は「もしも、みな一人一人が心の内から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現——強大なる佛法のこの世における再現なのです!」(『精進要旨』「警告の言葉」)とおっしゃいました。

 私は刑務所の中で神通を運用した時、自分の神通力が効くかどうかを思わず、恐れず、ただ邪悪を制する一念だけでした。私は大法弟子であり、師父に管理されています。私は旧勢力に管理されるわけがないので、関係ないのです。

 『転法輪』の中で師父は功能について説かれ、さらに功能に関する法も単独で説法されました。認識しないならば、たくさんの執着心が働いて、あなたを恐れさせ、あなたの大脳をコントロールしているのです。

 師父と法を信じることによってこそ、冷静さを保つことができます、はっきり覚えましょう。

 2010年4月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/21/220167.html

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