■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/03/mh043415.html 



内に向かって探し、人に言われたくない心を無くす

(明慧日本)去年私は心性の向上にあたる難関にぶつかりました。甲同修はいつも私によくしてくれ、私が迫害されていた間にいろいろ助けてくれました。家に帰ってから甲さんは私の為に発正念や涙を流したことを私に教えてくれました。これで私も甲さんに感謝し、知らず知らずのうちに情の中に陥りました。トラブルはこれから始まりました。

 交流する中で、数年間会っていなかった甲さんの性格は相変わらず気が短いと気付いたので、私は指摘してあげ、相手も受け入れてくれました。しかし、私は修煉者として随時に内に向かって探さず、徐々に甲さんを信頼しなくなりました。これだけ修煉したのにまだ変わらないと心に愚痴を溢しました。自分も向上しなければならない要素があると思うものの、やはり甲さんが悪いと決め付けました。

 隔たりがあれば、邪悪が隙に乗じてくるのです。同修が連行されて資料点のことを自白しました、さらに他の同修が連行されて、設備なども押収されて大きな損をしました。次第にトラブルが大きくなりました。ある日甲さんが家に来て、以前贈ったものを受け取りに来たと言いました。全部を持って帰る前に甲さんは私を酷く罵りました。私は相手にしなかったのですが、とても悲しかったのです。最後に甲さんは「これからあなたと縁を切りますよ」と言いました。

 甲さんが帰ってから私はずっとこの事が忘れられず、いつも、なぜ? と考えました。ある日師父の法が浮かんでいました。「人心控を失い魔性顕る」(『洪吟』「魔変」)を思いだして、自分が向上しなければならないと認識しました。ある同修が私の家に来て、数日間泊まりました。私は甲さんのことを話して、そして何かあったらすぐ甲さんのことを言いました。すると同修は「あなたはいつも同修のことに執着している。そんな話は聞きたくない」と言いました。急に私は目覚めました。

  師父の『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』を学法してから、鏡を見るように私の執着心が分かりました。私はずっと良い話だけを聞きながら育った人間で、面と向かって罵られたことは初めてです。これは正に言われたくない人心を無くすチャンスではありませんか? よい話ばかりを聞きたがる心を無くすべきではありませんか? 甲さんに感謝すべきではありませんか? 本当に感謝しなければなりません。私が同修の不足を見た時に善意を持って指摘するのではなくて、機嫌を取るために黙っていたのは実は自分を保護する私心です。幼いころから話の荒い人を軽蔑していました、実は嫉妬心のせいです。また利益への執着もあり、人を救うのなら金を使ってもよいのですが、他のことに使うとすぐ計算してしまいます。このような心を持って同修へ対処して相手は受け入れるのでしょうか? このような心をもって大法のことをしてよいでしょうか?

 修煉は厳粛なものであり、私は玉ねぎの皮を剥ぐように一層一層の人心を削り落として、とても軽快に感じました。

  2010年4月3日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/31/220683.html

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