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多く学法して、修煉に勇猛邁進する


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1996年に修煉を始めた年配の大法弟子で、今年75歳です。修煉後、10数種類の病はいつの間にかなくなりました。以前、腕を上げても手が自分の頭に届かなかったのですが、修煉して9日後、腕を高く上げることができました。70年私を苦しめた聴覚障害は奇跡的に回復して、ぐらついていた歯は正常になり、私の性格も明るく前向きになりました。

  風雨の中で正法修煉の道を今日まで歩んで来られたのは、すべて師父の加護と大法の導きのおかげです。 

  一、多く法を学ぶ 

  多く法を学ぶことは次元を高める肝心な鍵という師父の教えに従って、私は2001年までに『転法輪』を200回通読しました。とても速く読めることを顕示したい心が生じた時、それは顕示心という執着心だと悟り、字を読み落としたり加えたりして読む時に、それは師父と大法を尊敬していない行為にあたる、と反省しています。

  ずっと前から大法を暗記したかったのですが、70すぎの私はきっと記憶力が悪くて覚えられないと思って、ずっと実行しませんでした。2005年9月にやっと暗記を始めて、2006年7月までに10カ月をかけて、一通り『転法輪』を暗記しました。

  そのため、自分の空間場の良くないものがたくさん取り除かれ、心性が高まり、大法の事をする際、とても順調になっていることを実感しました。これで私は自信を得て、すぐにももう一回暗記をしました。暗記を通じて、感銘したことは多々あります。修煉者として頭の中に法が入ると、何かに出会う時にすぐ大法ではかり、是非や善悪を判別することができます。通読と暗記をする過程は、雑念と業力を一掃し、体を浄化して大法に同化する過程であり、常人の考え方を取り除いて正念を強める過程でもあり、また、自分が「三つのこと」をしっかり行う保障にもなります。

  1996年、『手で書き写した経文の扱い』の経文が発表後、私は『転法輪』を書き写すべきではないかと悟り、すぐに実行しました。書き写すことは実はとても難しくて、時間と根気が必要でした。字もきれいに書かないといけません。手で書き写した『転法輪』は原本の『転法輪』の各ページのレイアウト、文字数、ページ数と同じにしないといけません。書き写す時、心を静めて集中して、書き間違いは許されません。書き写すことは執着心を取り除く過程でもあり、私のせっかちと雑な性格が直されました。私は一心不乱に『転法輪』を書き写し終えた時、奇跡が起こりました。元々、私の右腕は毛糸を編むこともできないほど痛かったのですが、書き写し終えた後、腕の痛みは消えました。手で書き写した『転法輪』はその後、警察に差し押さえられました。

  二、衆生に慈悲を持つ 

  私は幼い頃に両親を失い、兄弟姉妹もいないため、結婚後、夫と子供に対する情をとても大切にしていました。しかし、運命はこのように按排するのです。1996年に夫と死別し、2002年、次男は職場で一酸化中毒のため死亡しました(死者は2人)。悲報が伝わってきたとき、私は全身の力が抜けて頭が真っ白になり、「こんなこと、あり得ない、あり得ない…」と呟きました。30代の体の丈夫な次男は、70歳の母、若い妻、小学生の娘を残して他界しました。落ち着いたあと、私は大法弟子の原則に基づいて工場側とすぐ合意に達して、事故の後処理をしました。一方、もう1人の死者の家族(常人)は、工場側となかなか合意に達しませんでした。

  話し合いの席に、工場の経営者と保安課、市公安局の職員、我が家の親戚などが出席しました。工場の経営者は、我が家はさすが文化人の家庭で、よく工場側の立場を理解してくれた、と感謝の意を表しました。私の長男(常人)は、「いいえ、文化人だからではなくて、母は法輪功を修煉しているからです。さもなければ、今日こんな結果になるはずがありません。感謝するなら法輪功と法輪功の創始者・李大師に感謝すべきです」と言いました。会場はしんと静まりかえりました。

  三、情から抜け出す

  今日まで7年過ぎても、次男の遺品を見ると涙が止まらず、頭の中でまた当時の状況を思い出しますが、大法の理で自分を制しています。2005年、次男の嫁(同修)は再婚の思いがあり、我が家から出ようとしました。普通にいえば、30代の若い女性が再婚を考えてもおかしくはありませんが、私には自分の考えがあり、彼女と何度も長時間話し合いました。修煉者である2人は大法の理に基づいて話し合い、心性を高めたら解決できないことはないはずですが、私と嫁は各自の考えを変えませんでした。それで私は毎日むかむかして、自分が大法弟子であることも忘れて、法も思い出せませんでした。家庭に昔の暖かさが無くなって、私は毎日涙に暮れ、苦しくてたまりませんでした。この状態はとても長く続きました。

  「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか?(『転法輪』)」の法理に、それなら、自然に任せようという気持ちになりました。

  嫁が本当に引っ越す日に、私は家で荷物が搬出されるのを見送るか、若しくは当日引越しの場面を見ないように、どこかに出かけるか、考えていました。2005年8月12日、その日は本当にやって来ました。事前に嫁は私に引越しの事を言っていませんが、彼女の親戚が運転する車が我が家に来ました。その時、私はとても落ち着いて、片付けを手伝いながら、忘れ物をしないで、生活用品は良いものを持っていってください、足りないものは後ほど私がまた買えば良いから、と嫁に言いました。彼女たちを見送ってから、私は部屋を片付けました。自分がこんなに冷静でいられることに私自身も驚きました。突発的な事がある時、私はいつも落ち着いて理性的に対応できるのは、師父が私の代わりに苦難を耐えてくださったからではないかと悟った私は、師父の写真の前にひざまずいて、合掌して泣きました。師父! 弟子の私はしっかり修煉できず、もう一度師父にご迷惑をかけました。今後かならず精進に勇猛邁進しますと私は誓いました。 

  落ち着いてから内に向けて探すと、私のため「我」のための人心が根本の原因であり私をここまで苦しめた、と分かりました。私は真に修煉する大法弟子なのか、と自分に問いかけると、心の底で「私は真に修煉する弟子だ」という堅実な回答があります。本当に真の大法弟子であれば師父の言われたとおりに行動しなければ、と決心しました。

  嫁ともう一度話し合って、法理の切磋琢磨をしたいです。私は話したい内容を整理するために文章に書きました。内に向けて探す目的で書いたつもりですが、やはりなぜか「私は正しかった。すべてあなたのためだ、あなたが間違っている。私の話を聞かないと、いつか後悔するぞ」と書きました。同修に原稿を見せると、同修も「そうですね、嫁に教えてやらないといけませんね」と言いました。私は『転法輪』を手にとってめくったら、ちょうど「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」のところでした。

  この段落はちょうど相手の立場に立つことができない私に対して言われた言葉ではありませんか? 私は書き直そうと決心しました。2回目の原稿には嫁の不足点について軽く触れ、自分のことを「私自身が悪かった、法理を大義名分にして、あなたが言い返せないように説教したくて、あなたが私の思いどおりにしてほしいが、自分自身を変える努力をしたくない」と書きました。しかし、心の中で少し辛くて悔しい思いをしました。

  また同修に見せると、同修は「前回より進歩しているね」と言いました。一日経って、修煉者である私は高いレベルで自分に求めないといけない、大法弟子は大法弟子らしい風格を持つべきで、誰が正しいか誰が間違ったかを見ないで無条件に内に向けて探さなければならないと、悟りました。再度筆を取って、恨みも悔しさも愚痴もなく、内心から自分の不足を探して、心の底に隠れている執着を掘り出しました。書き終わって同修に見せると、同修は「今回のあなたは本当に真の修煉が分かったようです。3回の原稿は次元が三つとも違い、心性も高まってきて、法理に対する認識も明晰です」と言いました。

  私のほうが法理をはっきり認識して心性を高め、宇宙の法と逆行しなくなったら、すべてのことが順調に変わり、嫁のほうも不満が無くなり、2人の間は何ごとも無かったようになりました。今、嫁とよく一緒に学法して、互いに励まし会いながら「三つのこと」をやり、生活の面で互いに助け合っています。

  以上は私の些細な修煉の体得です。絶対に、師父が慈悲深く済度してくださった恩に背かず、「三つのこと」を倍以上に頑張って、自分を良く修めて多くの人を済度し、先史の約束を果たしたいと思います。

  2010年4月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/8/217755.html

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