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大慶市の法輪功修煉者は迫害されて死亡

(明慧日本)大慶市の法輪功修煉者・馮広運さん(73)は、法輪功の修煉を堅持したため、中国共産党に迫害されて、2010年2月6日に死亡した。

  馮さんは生前、大慶労働教養所に入れられ迫害を受けた。2002年12月、大慶労働教養所の警官は、馮さんを「転向」させようと、ほかの入所者に指示し、馮さんを洗面所につれていき、服を脱がせて窓を開け、水道の水を馮さんの体に浴びせた。警官は全身が震えている馮さんに「転向するか」と聞いたが、「しない」と馮さんは答えた。警官は、3人の入所者に指示し、馮さんの手足に錠をかけ、鉄の椅子に座らせた。入所者の李敬平は痰や尿を馮さんの口に入れた。入所者の董如江、李敬平は法輪功修煉者がタバコを吸わないと知りながらも、わざと喫煙して馮さんの顔に当てたので、馮さんは咳き込んで止まらなかった

  馮さんは大慶鉄道チチハル支局を定年退職した職員で、1998年5月2日、法輪功を修煉し始めた。その前に、体は多種の疾病を患っており、薬を飲んでも治療してもよくならず、胃病とリウマチ性関節炎で歩くのも辛く、死にたいと思っていた。法輪功を修煉した後、病気がよい方向へ向かい、法輪功の「真・善・忍」で自分を要求して、もっとよい人になるように努力していた。

  1999年7.20から中共は法輪功への残酷な弾圧を始めた。馮さんは、2000年の7月21日、10月10日、11月20日、12月25日に北京へ法輪功の真相を伝えに行った。そのため、警官に拘禁されて罵られたり、殴られたりした。

  2002年5月、家にいた馮さんは、チチハル鉄道公安局の警官4人に強制連行され、チチハル鉄道留置場に拘禁された。その後、2年の労働教養の処分を受け、大慶労働教養所に入れられ、警官に罵られたり、殴られたりの拷問を受けた。ある日、副隊長・張明柱に顔を殴られ、すぐに腫れ、あまりの痛みで馮さんはご飯も食べられなかった。

  馮さんが屈しないため、毎日たった2時間の睡眠しか許さなかった。夜に警官は馮さんをトイレの前に座らせ、人が小便に来ると馮さんに便所のふたを開けさせた。警官は汚い労働を全部馮さんに任せ、常に汚い言葉で罵った。馮さんに重労働をさせるだけではなく、走らせた。馮さんは年を取っていたから、あまり走れないため、入所者と一緒に走らせた。食事をするとき、法輪功修煉者1人は3人の入所者に囲まれ、後にもう1人の入所者に打たれながら歩き、処刑場に行くようだった。入所者たちは「お前が転向しないと転向するまで苦しめ続けてやる」と叫んだ。

  警官は馮さんに法輪功の修煉を放棄させるため、いろいろな手段を使った。迫害によって馮さんの血圧は170mmhg〜200mmhgになった。副隊長・王英洲は馮さんに薬を飲むことを強要した。馮さんは「あなたたちの迫害で私はこうなった」と言ったら、王英洲は「今日はお前が飲みたくなくても飲ませてやる」と恐喝した。王英洲は4人の受刑者に指示して馮さんを地面に押し倒し、足で胸を蹴り、ドライバーで口を開けて薬を飲ませた。

  翌日、部屋の検査に来た副所長・王泳ショと課長・韓青山に馮さんは「私は国民で、薬を飲むかどうかは自由で強制的に詰め込むのは法律違反だ、馬賊の行為と一緒ではないか」と言った。王英洲に「お前の親父にもこのように薬を詰め込むのか」と言った。王英洲は「見ていろよ」と怒った。その後、馮さんの血圧は220mmhgになった。馮さんは煉功して以来、血圧が高くなったことはなかった。

  労働教養所の迫害で、馮さんは衰弱した身体で家に帰ったが、煉功して治ったリウマチ性関節炎が再発して、歩くことがまた辛くなった。小腸にも病気があり、肝臓癌を患い、数回入院して治療したが治らず、2010年2月6日朝の6時に死亡した。

  2010年4月23日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/3/29/220607.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/4/13/116076.html

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