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自分の不足を探し、全体に円融する

(明慧日本)最近神韻公演のCDが出てきてから、同修たちは早めに世の人々に見てもらうため、仕事の量を増やしました。神韻公演CDを作る過程で、同修たちは数日学法、煉功ができなくなりました。古い同修はすぐにいまの状態が正しくないことを認識し、協調人同修Aに反映しました。言葉にたぶん同修Aを考慮しなかった点もあって、同修Aは常人の理論で言い争ってきました。当時自分も心性を良く把握できなくて、巻き込まれて常人の考えで同修Aと言い争いました。後でみんなが機嫌を悪くなり、問題は解決できず、かえって互いに一重の隔たりが生じました。

 当時自分は非常にかんしゃくを起こし、常人の心で考えました。「彼女は毎日学法をし、真相を伝えてみんなに素晴らしいと認められているのに、こんな小さなことも我慢できないなんて」 その時夫(同修)は私の気性が激しくて私のせいだと、内に向って探すべきだと話してくれました。私はもっと機嫌が悪くなり、夫に対してもかんしゃくを起こしました。

 翌日、多少落ち着いてから同修の話が思い出しました。「これは邪悪の妨害で、私達はわなに掛かってはいけません。同修Aの話も本人の話ではなく、あなたも多く考えないでください」 それで考えてみると、このトラブルはみんなが集団学法を始めてから、一週間も経たない内に生じました。集団学法を始めてから毎日煉功、発正念、学法をすることができて、みんなは非常に精進するようになりました。トラブルがあってから私は落ち込んで、学法にも影響しました。これは魔の妨害ではないか、魔はわれわれの間に隔たりを生じさせ、われわれを引っ張って落とそうとします。私はもう少しで騙されるところでした。幸いに同修が注意を促してくれました。

 邪悪が私達の人心を狙って生じさせたトラブルであることを認識してから、自分のやり切れない思いもなくなり、内に向って探してみて三つの人心を見つけました。一つは自分の闘争心が強く、目上の人に対する礼儀が足りませんでした。これは党文化の下で生じた結果で、自分はこの面で良く修めていませんでした。自分に理があると思えば目の上の人も関係なく自分の意見を強く主張し、言い争うところまで行きます。今回も同様で同修Aは自分より年上であるのに、話す時礼儀の面で注意しませんでした。

 二つ目は自分には怖がる心が重くて、常に良く修めていない同修が自分に迷惑をかけてくれるのではないかと恐れ、同修との接触が少なくなりました。法を実証することも多く行いませんでした。同修の状態が良くないとき、同修を理解し、手伝ってあげるのではなく、自分が影響を受けることを恐れています。これは非常に私的な心です。

 三つ目は他人に頼る心でした。同修Aが大法の仕事をするとき比較的焦る状況が現れたのも、私達は自分を顧みる必要があります。こんなに多くの人でなぜ同修Aだけが忙しくなっているのか、私は何の資料も同修Aに頼んできました。私が同修Aの負担を分担したら、彼女の圧力もこんなに多くないはずで、互いの誤解も深まるはずがありません。

 今回のことを通じて、自分が非常に多く落伍していることに気付きました。修煉は子供のいたずらではなく、勇猛邁進すべきです。私はここで同修Aに謝りたいと思います。同時に他の同修にも話したい事があり、私達は内に向って自分自身を探し、全体に円融し、互いの隔たりを取り除いて、邪悪に隙に乗じられてはなりません。今後互いに修煉を促し、法を実証しましょう。

 個人のわずかな悟りで、同修のご指摘お願いします。

 2010年4月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/19/221790.html

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