■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/05/17/mh180380.html 



14年の刑を科された法輪功修煉者 刑務所で迫害により重病に

(明慧日本)黒龍江省密山市の法輪功修煉者・姜洪禄さんは、元密山市道路公団の職員である。2002年2月12日に警官の孟慶啓に銃撃された後、法輪功を修煉しているという理由で14年の刑を科された。鶏西哈達刑務所に強制収容され、後牡丹江刑務所に移された。

  姜さんは長期にわたる収容や迫害のため栄養不足となった。そのため病気になり、病状は悪くなる一方で、食事もとれず、睡眠もできない状態に陥っている。家族は刑務所と折衝しているが、刑務所は姜さんを釈放する意志がない。 

  2009年に受けた強制連行、ゆすり

  法輪功が迫害を受けてから数週間後、1999年10月6日、密山公安局の政保科長の孟慶啓は数人の警官を連れて、姜さん宅に不法に侵入した。令状を提示もなく家宅捜査を行い、900元相当のDVDレコーダーを強奪したうえ、姜さん夫妻を強制連行した。1カ月収容されて1万2千元をゆすり取られた後、釈放された。姜さんは関係部署に警官が金銭を強請る事実を陳情したが、担当者は「これは上層部からの指示だ! 不服があれば北京へ上告することだ」と傲慢に話したという。そして生姜さんは1999年12月1日陳情のために、北京に向かった。北京に到着すると、陳情する前に警官らに拘束され、地元の公安局に引き渡された。地元に戻ると留置場に入れられ、孟が尋問を行い、全身が傷だらけになるまで殴打された後、鶏西労働教養所に送られ迫害され続けた。

  2002年に銃撃され、14年の刑を科される

  2002年正月の元日、姜さんはもう1人の法輪功修煉者と街を歩いていた。巡回していた警官の孟ら数人は姜さんと見て、パトカーから降りていきなり殴りかかり、服が破れて、衣服が濡れるほど顔面から流血した。姜さんは地面から這い上がり、その場から逃れようと駆け出した。孟はピストルを抜き9発発砲し、うち1発は姜さんの膝に的中した。孟らは追いつき機関銃や警棒で狂ったように姜さんを滅多打ちした。姜さんの額には5針を縫う傷ができた。顔が変形し、左眼球が飛び出て、両目から出血した。病院に運ばれたとき、膝の骨は長さ6cmほど断裂していた。弾丸を取り出すとき、警官らは医者に麻酔を使わせなかったという。

  2002年10月23日、密山市の共産党の役人らは裁判所をコントロールし、姜さんを含む8人の法輪功修煉者に対し、判決を下させた。裁判中に裁判長は姜さんの弁明を禁止し、警官を襲った行為を認めるよう強要した。姜さんは断固として拒否したため、その場で警官の劉に殴られた。警官の暴行行為に対し、裁判官をはじめ、その場にいた市共産党の副書記、約200人の傍聴者は、誰1人として制止しなかった。ほかの7人の法輪功修煉者が暴行行為を制止しようとしたとき、共産党の副書記は飛び上がって叫んだ。「お前らは造反するつもりか! 重刑、重刑、重刑だ!」

  獄中で受けた拷問

  姜さんは14年の刑に処され、刑務所に収容された後、独房に閉じ込められた。地下室には吊り上げりための鉄製の輪があり、姜さんの両手を手錠で、鉄製の輪に固定し、足かせをつけた。吊り上げた鉄製の輪の高さは、しゃがむことができず、身動きが取れない状態で、眠ることもできない。その後姜さんが鉄製の輪からはずされたとき、痩せこけてしまっていた。

  2010年5月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/11/223342.html

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