日本明慧
■印刷版   

修煉は執着心をなくすこと


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は再び歩けるようになって2年経ちました! 以前足の骨が折れましたが、何の医療手段も、薬も使いませんでした。法輪大法を修煉しており、人のすべての苦痛や悩みは業によるものだと分かっていたからです。私は師父を信じ、師父が再び歩けるように足を直してくださると信じました。

  しかし、修煉はとても複雑なことで、業力をなくす面だけではまったく足りず執着心こそが修煉者が問題を正確に判断することに対する障害です。法がハッキリしていなければ、旧勢力や邪悪などに隙をつかれて迫害されるのです。これは修煉者が長い間苦難を乗り切れない主な原因です。しかし、これは人間の観念を変えなければ見えない問題です。

  正常に歩けるようになる前は、足が床に着くとき私は真っ先に痛さを考えました。だから、この2年間まっすぐ歩けませんでした。まっすぐ歩こうとしても駄目でした。今年の春はとても寒く、農耕はいつもより数十日も遅れました。毎日朝早く起きて、夜遅くまで種をまき、足の痛みなどすっかり忘れていました。いつからか覚えていませんが、私はまっすぐ歩けるようになりました。ある日突然自分の足がおかしくないと気づきました。喜びにひたって私は考えました、私の足はまっすぐ歩けないのではなかったのか? いいや、違う、私の足は自分の観念に捕らわれていたのです。いつも歩くと足が痛いと思っているから、歩くとき私はいつも痛く、まっすぐ歩けないようにしていたのです。これは自分の観念によるものではないでしょうか!

  このことを通して、修煉は執着心を無くすことが目的で、執着心は後天に形成されるものだと私は分かりました。観念の変化で修煉者の法に対する信頼の程度がハッキリします。修煉は多くの苦を乗り越えるだけでなく、執着心をなくすことが最も重要なのです。

  旧勢力や邪悪は修煉者が長い間なくさない執着心を掴んで、迫害を進めてきたのです。修煉者は必ず自分に対する要求を厳しくし、法に従い、個人の実修を重要視してこそ、苦痛から離れられ、円満の道へ進むことができるのです。

  不当な所があれば、同修の慈悲なる修正をお願いします。共に精進し、師父に従って法を正したいと思っています。

  2010年5月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/24/224194.html

■関連文章
『ヨーロッパ法会へ』を読んで