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迫害を黙認することは、旧勢力の按排を受け入れることに等しい


文/中国の大法弟子

(明慧日本)ある同修の妻が連行され、馬三家労働教養所に監禁されてからすでに2年が経ちました。妻は「あと1年で出られる」と聞いたというので、学法の後にこのことについて話しました。この話を聞いて私は内に向かって探しました。このことは思考のどこかで旧勢力を黙認しており、邪悪の迫害を認めているのではないでしょうか。

  同修が連行されたと聞き、仕方なく発正念し、救出しようとしているかのようです。「判決」を下されるとすぐに気を抜き、どうしようもない感覚に陥り、次第に旧勢力の迫害を認めてしまい、根本的に否定もせず、迫害の発生を許していません。もし、大勢の同修がこの迫害を否定しないなら、邪悪は迫害の正当性を掴むことになります。迫害されている同修の長期の監禁の責任も、私たち一人一人にあるのではないでしょうか?

  もう一つは私たちが真相資料を配るとき、何人かの同修は悪人に邪魔されると第一に浮かぶのはすぐに資料を隠すことです。「もし私のところに来ても、私は何も持っていない」と。表では何も間違えてはいないかのようですが、それは旧勢力の存在を認めたのではないでしょうか。真相資料を邪悪の迫害の罪の証として考えたことにならないでしょうか。

  人の後天的な観念は、いったん形成されると元に戻ることはとても難しいのです。法理から昇華しなければ、どうやって師父から任された「三つのこと」をうまく成し遂げられるでしょうか? 真相資料は私たちが人々を救うための法器です。邪悪の迫害の証拠になってはいけません。正念が満ちていれば、「人が人に対する」迫害に対して、自分から隠したりはしないはずです。

  個人の認識で、正しくない所があれば、修正をお願いします。

  2010年6月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/1/224663.html

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