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「恋愛する」という名利心と決別する


文/日本の法輪功修煉者

(明慧日本)私は修煉を始めてまだ一年ほどの、若い修煉者です。師父の按配で留学先で法輪功に出会い、母国である日本に帰りました。自分の生まれた国で正法活動をするのが、今できる一番のことだと考えたからです。

 日本に帰ってから、すぐに大法弟子と連絡して三つのことを行い始めました。ここで自分ができることを行い、法を学んで着実に修煉しようと決めました。しかし、母国である日本は、目や耳に入ってくる情報量も違うので執着心が生じやすい環境でもあり、魔につけ入れられやすい環境だと感じていました。そして、私は内心、常人社会から脱することに恐れを感じていました。その結果として現れた、男女の情と名利心についての出来事を書きたいと思います。

 大紀元に関わる上で、経済・政治を勉強しようと思い、ある経済勉強会に参加したとき、一人の常人男性と会いました。彼は私に恋したといって、大きな情の塊を私に投げかけました。私は「普通の女の子として、彼氏がいたほうが嬉しい」という常人の観念を捨てることができず、付き合うことをOKしてしまいました。これは男女の情というより、名利心のためでした。彼に会えば、大法弟子が放下すべき「情」を投げかけられ、毎回複雑な思いでいました。私はこういうものに接したくないという反面、「自分を好いてくれる恋人がいる」という名利心を捨てることができませんでした。

 彼は私が修煉することを止めさせようとし、時に私や大法を強く罵りました。大法の活動のことを話しても理解してもらえませんでした。たとえ彼が怒鳴っても「自分の業が彼に注がれている」と感じ、相手をかわいそうだと思い、冷静さを保てました。だんだん彼が怒る回数が増え、私に向ける言葉も相当汚くなりました。彼は私の業の転化の過程に大変な辛さを味わっている様子でした。このことを見て、自分の「恋愛する」という名利心のために常人と付き合ったことが間違いであったことに気づきました。私達は別れることにしました。

 常人社会の中にいると、うっかり自分を緩めれば情や欲の魔が入り込んできます。既得権益のため、お金のために、エスカレートした宣伝やゴシップ、どろどろの恋愛慕情、人を見下して笑いをとるTV番組などが、常人社会に蔓延しています。人々は至極当然のことのようにそれを受け入れています。私はこれらを見て、悲しいことだと思っていましたが、実は自分もこういう魔につけ入れられていたのに気づきました。無責任に恋愛という常人の観念を受け入れてしまい、そして相手にも大変辛い思いをさせてしまいました。

 神の道を修める大法弟子が、なぜ常人社会への執着心を持つのでしょうか。情や欲は放下しないと衆生を救えず、正しい結果をもたらすことができないのです。

 私は同じ過ちを犯さないことを、師父に誓います。縁があって得られたこの大法を大切にし、師父を手伝って衆生を済度し、しっかりと修めます。同修の皆さん、私の認識に間違いがあればご指摘をお願いします。

 2010年6月29日

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