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師父を固く信じ、修煉の道を正しく歩む(一)


文/中国河北省の大法弟子・翠蓮

(明慧日本)私は今年61歳です。1997年に法輪大法を修煉し始め、今まで毎日病業によって苦しみ、苦痛の中でもがいていた私は、健康を取り戻しました。そして、今の私は師に手伝って法を正し、衆生を救い済度する神の道を歩む大法弟子となりました。それは、慈悲で偉大なる師父が私に再び生命を授けてくださり、師父のご加護の下で、10年におよぶ残酷な迫害の中で正しく歩むことができました。しかし、数え切れないほどの苦しみも味わい、大変な道を歩んできた中で、ただ一つの信念が自分の支えとなりました。それは、師を固く信じ、法を固く信じることでした。

 一、学法して心を修め、協調する中で自分を高める

 大法が迫害を受ける以前、私は新しく入門した学習者の指導をしていました。その後、自然とその同修たちと一緒に、学法や修煉の環境を形成することができました。大法が迫害を受け始めた最初のころは、真相資料が足りず、同修の需要に追いつきませんでした。そこで、私は精一杯、資料作りに精を出し、同修に提供していました。その当時、私は世間で師父の正法を手伝う大法弟子なので、真相資料を作成し、同修の需要を満たすことが私の役目であると考えていました。その後、私は自然といろいろなことを協調するようになり、師父の経文、明慧の情報、真相資料を作ることを最優先に考え、どのような状況下でも資料を遅らせることなく、約束した時間に同修の手元に届けました。ある時、師父の経文が発表され、私はいつものように適時に同修の手元に届けました。しかし、ある同修は、家を4回訪ねても不在だったため、手渡すことはできませんでした。私はいろいろな方法で同修の娘の居場所を突き止め、母親に渡すよう娘に依頼しました。

 迫害当初は、でき上がった真相資料が少なく、私は自分で配布用と貼り付け用の文書を書き分けていました。しかし、ある同修は私の積極的な姿勢に対して叱責しました。「あなたはなぜ自分が積極的だと顕示するの? 資料があれば配ってもいいし、なければ配らなくてもいいではないか?」私は同修の話を聞いても心が動じませんでした。なぜならば、同修は私の心性を高める機会を提供してくれたからです。私はその同修に言いました。「私たちは大法弟子なので、大法を実証し、師父の潔白さを取り戻すため、真相を伝えることは待ってはならず、私たちは自分で方法を考えなければなりません」このような思いがあって真相を伝える困難な時期を乗り越えることができ、同修たちは協力し合い、よく行いました。

 中国のオリンピックの期間中、私はある同修の家に真相資料を持っていきました。同修の家に到着すると、その同修は急いで聞いてきました。「我が家の入り口の前で、手持ち荷物を調べる中共の役人がいませんでしたか?」 私は「いませんでしたよ」と答えました。同修は「次週の真相資料はどうしましょう?」と聞き、私は「我が家に取りに来てもらいましょうか?」と言うと、その同修は「あなたの家は間違いなく中共の役人が監視している」というのです。私はその同修に安心させようと、「私たちは邪悪の按配を認めなければ、彼らは来ません」と話しても、その同修は「やはり行かないことにしよう」と言い、「それでは今までのとおり私が持って来ましょう、私たちには師父のご加護がありますので、大丈夫ですよ。発正念して邪悪な生命を解体しましょう」と話して、帰りの途につきました。

 家に着くと、良くない念が現れました。このおばあちゃんは、家の前に中共の役人がいたことを、なぜ知らせてくれなかったのか? 家に資料を取りに来ないし・・・と不平不満が現れ、そこで私はため息をつき、すぐに目が覚めました。修煉者は問題に遭ったときは、内に向けて探し、今の私は外に向けて探していたのではありませんか? 私はさっそく発正念して、正しくない念を取り除きました。今日の出来事で、私のどこか良くなかったのかを考えながら、師父の説法を思い出しました。「修煉者が遭遇しうる一切のことが、すべて皆さんの修煉や圓満成就に関係のあることで、さもなければ、そのようなことに遭うことはありません」(『精進要旨二』「大法とは圓容しているものである」)そして、私は内に向けて探しました。私には恐れる心、他人を怨む心を見つけることができました。そして、発正念をして邪悪の按配を否定し、同修の家に真相資料を持って行くとき、すべての妨害を取り除きました。

 二、旧勢力の按配を否定し、修煉の道を正しく歩む

 2001年秋のある日、夫は仕事先から昼食を食べるために戻ってきました。家に着くと慌てて「急いで修煉しない『保証書』を書こう。午前中、君が勤める会社のマネージャーが私と会い、『上層部からの命令として、保証書を書かない人は、みな刑務所に収容する』といってきた」と言うのです。夫の話を聞いた私は、「このことは私にとってとても大事なので、今回は保証書を書くわけにはいかない。大法が迫害を受けた当初、私は一度過ちを犯して『保証書』を書いたことがあり、同様な間違いを犯してはなりません。私は大法弟子であり、師父の按配に従います」と断りました。夫は「食事しながらよく考えてみることだな」と命じました。食事の後、夫は怒りのあまり我を忘れて、私に怒鳴りつけ、私の荷物を手にしては、あちこちへ投げつけ、壁に向けて殴ったり蹴ったりした後、「刑務所に入れられるのを待っていなさい」と言って会社に戻っていきました。夫が暴れても私は心が動じず、心の中で固い信念で、師父のおっしゃったことを聞きますと決心しました。夜になって、夫は会社から戻り、「君の代わりに私が保証書を書いたから、君は無事でいられる」と言い、夫の話を聞いた私は慌てました。「私の同意なしで、何を根拠にして保証書を書いたの? 私は認めません」と夫の行為を否定しました。夫は大きな声で私に怒鳴りました。「あなた達は良心がないのか? 良いことか、悪いことか判別もできないのか?」 私は「あなたに悪いことをさせたくないのよ」と言い返しました。後になって知ったのですが、夫は私の代わりに保証書を書いてはいませんでした。このことを通して私は悟ったのですが、もし私たちに真に修煉したい心があれば、師父はすべてを取り除いてくださるのです。

 (続く)

 2010年7月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/29/224471.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/6/22/117983.html

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