自我を放下して初めて、隔てをなくして全体になれる
文/内モンゴルの大法弟子
(明慧日本)7.20から今まで、我が内モンゴル赤峰市の同修は全体にまとまったことがありません。一部の古い修煉者は、赤峰市の大法弟子は根基がよくて悟性も高い、修煉の境地も高いと思い込んでいます。これは矛盾ではありませんか? 修煉がよくできていると言うのは表面上で法理を語っていることではなく、自我を放下し、同修の間の隔てを取り壊して強大な全体になることです。こうしてこそ、衆生を救い済度する中で全体的な力が発揮することができます。
しかしこの数年来、他市の同修は何回も赤峰の同修と交流して、赤峰市の同修に次の事があると分かりました。まず赤峰の同修は自我が強く、学法グループを作るのもしないで真相伝えるのもしたがらないのです。一部の古い学習者は人を救い済度することを少ししたが、今日の法を正す進展について行けません。そして、他市の同修が何回も赤峰市の同修と交流しても、赤峰の中で協調人が担当できる人がなかなか表れません。誰もやりたがらず、あまりにも複雑で誰も相手を尊敬しません。ある同修は積極的に立ち上がって協調人を担当したかったのですが、すぐに噂が流れてきました。「あの人が協調人? 誰の事を協調するつもり? 誰が彼女の言うことを聞いてあげるの」 同修の間にいくつかのラインが引かれています。ラインの内側は外側と無関係で、時に話しても小心翼々として、その隔てはずっと取り壊されていません。
その隔てとは何でしょうか? それは、相手の意見を受け入れられず、相手を気に入らないと思います。互いに外に向けて見て、指摘論争の中で自我を実証しています。「師父はどれだけ法を説いて下さったのでしょうか。なぜ、いまだに前へ進んでいけないのでしょうか」と、赤峰市同修の現状を見て、私の心は焦っています。
比べて見ると、周りの県は皆一つの全体になっています。大法弟子が真相をしっかり伝えたところは、75%の人が三退をしています。そして、後になって真相を伝えに出てきた人はほぼ相手がいなくなり、いつも数十キロあるいはもっと遠い市場まで行かなければなりません。師父の弟子である以上、法を正す今日に必ず外にでて世人を救い済度し、先史の誓約を果たせなければなりません。そして、無条件に自我を放下して全体に円融することです。私が見る限り、赤峰市の同修は自我の要素が強すぎで隔てが大きく、だから誰も立ちあがって協調人になりたくないのです。たとえ協調人がいるとしても効果がなく、誰も聞いてあげないからです。実は協調人は常人の上司ではなく、どれだけの才能が必要というわけではありません。
良い地区の経験から見ると、協調人はよく修めているスーパーマンではなく、普通に欠点や不足もある人です。問題のポイントは協調人本人がどうかではなく、他の弟子がいかに協力してあげるのかであって、これには修煉者の心性と境地を高めなければなりません。ある協調人は、次のようにたとえました。協調人は木の棒のようで、この棒が立派であるかどうか、曲がっているかどうかに関わらず、この棒自体が立って天を支えたかったら、もし皆が手を伸ばしてこの棒を握って一つの全体になれば可能です。この全体の良し悪しは、棒の形に関わらず他の弟子がいかに隔てなく協力するかによって決まり、棒自体は一分子にしかすぎません。だから、誰が能力の高い協調人になれると議論する必要がありますか?
実は、私が知っている赤峰市の同修の中で、誰でも協調人になれるのです。今はこの環境も備わっています。周りの市や県などには皆全体になっており、真相を伝えて人を救い済度することも良く進んでいます。ただ、赤峰市だけが残されています。他市の同修は私たちのために焦っています。赤峰市に拠点がない、赤峰市に資料点を建てるのに助けたいが協調人がいない、誰もがああだこうだと言って出てこないのです。実は協調人や連絡人になることは、今の時期では個人の修煉範疇を越えており、言わば偉いことです。
邪悪に危険を持たらされることを恐れてはなりません。師父がさせてくださったことを誰が邪魔する勇気があるのでしょうか? 私は最も正しいことをしているので全宇宙の神々も手伝っているのと思えばよいです。正念が強ければすべてを解決することができます。私たちすべてが全体を形成したい願望を持って、自分の条件に沿って学法グループを作って、自我を放下して人に協力して、地元の衆生を済度することに自分の知恵を出し合っていけば、この環境はすぐに変わると思います。
一部の同修はいつも人の過去を見ています。誰かが三書を書いたことがある、誰かが恐れて家にこもっている、誰かが天目の見える同修に興味を持って法に逸れることをした、誰かが病業の難関を乗り越えていない・・・。このすべてを放下しましょう。同修の誰かがどんな状態に陥っても修煉の過程です。これらばかりを重視していたら当然、互いに指摘することになります。このようにくどくど論じても誰も嬉しくありません。ある他市の同修はこのような話をしたことがあります。「赤峰市の同修が全体を形成したい願望を持てば、私たちは無条件に円融し、そして助けてあげたいです。資料や大法の書籍を送ります。人手の援助も惜しみません」
法の進展について行きましょう。赤峰地区の学法グループが雨後の筍のようになって、修煉の状態がよくない同修が集団学法を通じて交流して向上し、また修煉を放棄した同修が全体の助けにより修煉に戻ってきて、無量の衆生が私たちが全体になってから救われるようにしたいです。人を待たず、自ら行いましょう。人のことを責める必要はなく、師父が選ばれた弟子は威徳の高い新宇宙の王者であるのです。法は必ず成功し、大法弟子は必ず円満成就すると師父に教えていただいたのです。まだ何を待っていますか? 何を見ていますか? 時間は私達を待ちません。
個人的な悟りですが、不適切なところはご指摘して下さい。
2010年7月11日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/27/225998.html)
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