師父に与えられた道を正しく歩む(一)
文/アメリカの大法弟子
(明慧日本)師父、こんにちは。 同修のみなさん、こんにちは。
思い起こせば、私はミシガンに来て、もうすでに3年経ちました。師父のご加護のもとで、中部の大法弟子とともに10年の正法の修煉の道を歩んできました。特に神韻公演を広める際に、他の同修とのトラブルや協力する中でお互いに交流し合い、自我を放棄し、師父に与えられた道を正しく歩む、修煉の過程でもありました。
仕事を失って体得したこと
2007年、シカゴでの公演を終えて1週間後、会社は突然、私が所属する実験室を解散すると発表しました。この知らせを聞いて、私はとても驚きました。直ちに師父の言葉を思い出しました、「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」(『シカゴ法会』) これは私に対する師父の別の按排であるかも知れないと考えました。失業したことで収入がなくなり、心が動揺することは良くないことです。衆生を救い済度することを第一に考えなければなりません。したがって、私は表面的な出来事に戸惑うことなく、心は必ず安定していなければなりません。私はこのことに気付き、心が一気にぱっと明るくなったように感じました。
実験室が解散した後、みんなは解雇されないよう、自分がやっていたプロジェクトの重要性を会社にアピールしました。このことで、私は師父が『転法輪』の中で述べられた住宅の配分のことを思い出しました。他の同僚がアピールしているように、私は自分のプロジェクトがどれほど重要であるかを主張しませんでした。会社の同修と交流した後、心が落ち着きました。「私たちの部門に多くの中国の同僚がいます。このところ、思うように法輪功の真相を伝えていませんでした。もうすぐ離ればなれになります。まだ一部の人が三退をしていません。真相をたくさん伝えることが重要だ」と私は思いました。
自己満足と私心を取り除く
修煉の中で、失業のような出来事は少なくありません。苦しみにも耐えました。しかし、徐々に私心が生じ、いつの間にか、自分はとても多くのことをしたという自己満足の心が生じてきました。寒い日、暑い日にもかかわらず、私は妻を連れていろんな大法の活動に参加しました。参加している技術部門のプロジェクトで孤独に耐えてきました。やってきたことが多ければ多いほど、自分の自己満足の心に気付きません。技術の関係で、中国人で年の近い同修と交流するようになりました。彼は落ち着いて、自分は迫害を受け、放浪生活をしていると私に告げました。彼は毎日、真相資料を作り、夕方野菜市場へ行き、野菜の葉っぱを拾い集めて帰り、それを煮て食べています。
私を驚かせたのは彼が受けた苦難ではなく、彼の落ち着いた心でした。「自我を放棄し、衆生が常に心の中にいる」という高尚で、大法が創った生命の揺るぎない心と穏やかさに対して、私は恥ずかしく、彼の修煉との格差を感じました。「私」はたくさんの苦しみを受け、「私」はたくさんのことを尽くしてきました、「私」の家族はどうのこうのと今まで自分のことばかり考えていました。しかし、同修は無名で穏やかで、理性的であり、無私に衆生を救い済度し、真相を伝えなかった日は一日もなく、落ち着いた口調は耳に心地よく、「私」はありません。ここに到って、私は急に心がぱっと明るくなりました。
(続く)
2010年7月31日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/25/227518.html)
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