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死にかかった娘が、師父の助けにより生き返った


文/中国の大法弟子

(明慧日本)2001年3月12日の事故当時、私の娘は小学3年生(10歳の時)だった。帰宅した後、忘れ物を取るため学校に行き、帰宅道中、石を満載した農業用の車が後ろから走って来て、娘はひかれてしまいました。1回ならず2回もひかれ、娘はたちまち意識を失いました。病院の検査によると、左足が複雑骨折で、骨盤も骨折し、陰部の皮膚が引き裂かれたというのです。

 事故は5時頃に起きました。私と夫は、娘をまず地元の病院に運びましたが、治療を拒否されたため、仕方なく県の救急センターに駆けつけて輸血してもらいました。終わると、北京の軍区病院に行くよう告げられました。そこに着くとすでに夜10時になりました。救急センターからずっと輸血をうけながら運ばれていったのですが、失血多量のため、眼球の色が白くなりました。

 軍区病院の医者数人は、一目見ただけですぐ嫌な顔をして、「救いようがない、すぐ外に出せ」と言うのです。それから、娘を指しながら嫌々説明し始めました。「眼球が皮膚同様で血色が全くなく、死亡状態と同じ。目は何も見えずまるで盲人。このような状態で、ここで治療したいって? 早く外に出せ、ここで死んだら我々が困るんだ」

 医者は初めは手術したがらず、私達から再三にわたってお願いした結果、ようやく手術をしてもらえました。手術が終わったのは零時で、3時間半もかかりました。1時間の手術料は6万元だと告げられました。手術と言っても裂けた皮膚を縫っただけで、骨折は治療せず、骨盤の内外の傷が良くなってから治療すると言われました。

 13日後、奇跡が起きました。主治医がレントゲンを手に持って、私達夫婦に「このレントゲンとそのレントゲン(完治した足)と比べて見て、どうですか?」と聞かれ、「2枚ともレントゲンで変わったところはないです」と私は答えると、「レントゲンに違いがないが、写真から少しの違いも見つかりませんか?」とまた聞かれ、「同じように見えますね、分かりません」と答えました。すると、主治医が「娘の足は完治しましたよ。手術をしなくてもいいです」と言いました。その後、自分達の医術がたいしたものだと自慢しました。実はその日、骨折を治療しなかったことを彼ら自身がよく分かっています。しばらくして、専門家のような年配の医者が診療室から出てきて、「奇跡だ」と独り言をつぶやきました。

 これは大法の威力の現れだと、私は分かっています。師父が私の娘を救ってくださいました。私は1999年1月、大法を修煉し始め、娘も時々煉功したり私が学法するのを聞いたりしました。事故で入院中、私は『転法輪』を読んで聞かせました。当時、病室にお婆さん1人子供2人の入院患者がいて、皆が真相を知り、修煉し始めました。

 娘が手術室に入ったとき、私は廊下の椅子で休んでいて、師父の娘の治療に与えられた巨大なエネルギー場を感じ取りました。1時間続きました。言葉でとても言い表せないほど巨大な力でした。その場で、私は思わず涙を流し、目に涙を浮かばせながら、夫に「娘はもう大丈夫です。治りました。安心してください」と教えました。

 現在、娘の身体はすべて正常に戻り、健康そのものです。

 2010年8月6日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/8/4/227934p.html

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