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神韻を広める過程で自分を清める(一)


文/ワシントンDCの大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは! 皆さん、こんにちは!

 今日、私は皆さんと神韻を広める過程での修煉体験「神韻を広める過程で自分を清める」ということを少し分かち合いたいと思います。

 一、自分を放下し、全体と協調する

 神韻がアメリカ全土で巡回公演を始めてから、他地区の同修が私を探し出して、人手不足だからチケット販売に協力してほしいと頼んできました。私もチケットの販売状況を見て焦り、最後の段階で大きな展開が現われることを期待しながら、飛行機のチケットを買い、その地区に着きました。到着した翌日は土曜日で、現地の同修は私をデパートでチケットを販売するように配置しました。普通の道理からいうと、土曜日は一週間のうちで来客数が最も多い日であり、チケットも最も売れる一日ですが、責任者は「一人で十分だから、今日はあなただけです」と言いました。

 私はこの話を聞いて落ち着かなくなり、「ここはどんなデパートなの? 土曜日に一人で足りるなら、平日はもっと少ないのだろうか」と思い、心から協力したい気持ちではなく、チケットがもっと多く売れるところに行くか、または他のことをしようかという気持ちになりました。責任者は「私達はわざわざ業者にカウンターを作ってもらい、たくさんの精力を投入しましたが、人がいません。あなたは行ってくれますか?」と言いました。事情を聞くと、行きたくなくても行くべきだと思い、私は渋々と応じました。

 返事はしましたが、心の中はやはり渋々でした。私は次のように思いました。「私はこんなに遠い場所から飛行機に乗って来たのに、チケット販売も上手なのに、私にこのような場所を担当させても実力を発揮できないでしょう。今、私はインターネットでの脱党サポートを担当しており、そこも人手がとても足りないのに、私がこちらに来る時、インターネットでの脱党サポートの仕事をしている人は半分の人しか残っておらず、毎日、何十人もの人達が脱党サポートを探しに来るでしょう。神韻の重要性は多く言う必要はありませんが、この仕事をしたらあの仕事はできなくなり、うまく両立できない中で、私も時間をかけて悩み抜いた末に、手伝いに来る決心をしたのです」 この場所で販売されているチケットがとても少ないという話を聞いて、私に毎日このような場所を担当させるのかと思うと、心の中は複雑でした。

 私は、心が落ち着かないのは自分に問題があり、執着があるのだと気付きました。私は自分に、私は何をしにここに来たかを尋ねました。現地の同修に協力し、神韻をよく行うために来たのではありませんか? 師父は何度も、よく協力すべきであり、よく協調してこそ、神韻をよく行うことができると強調されました。「皆さんは共通の願いのためにこのプロジェクトに参加しましたが、それぞれ自分の意見にこだわり、それぞれ自分の意思に従って行っているのであれば、どのように協調を取るのでしょうか?この五本の指は全部伸ばしたいのなら、こぶしになれず、打つことができず、力がないのです。ですから、協調をとるべきです」(『新唐人テレビ討論会での説法』)

 私は手伝いに来た以上、現地の同修によく協調すべきであり、自分の意見を重んじて、いつも自分の願い通りにしようとしてはいけません。このような思いは全部グループの力を削り取ってしまいます。大法弟子はグループを円融すべきであり、どこにいても法を実証すべきであり、そこの衆生を済度すべきです。法理をはっきりと悟ったら、私の気持ちも変わり、落ち着きました。私は自分に「どんな仕事でもしっかり行い、カウンターを通る一人一人のお客様に真面目に接するように、と言い聞かせました。

 月曜日から金曜日まであっという間に過ぎて、まもなく土曜日を迎える時でした。「やっと人の多くなる時まで待ったなぁ、これでチケットをたくさん売ることができるだろう」と思いました。しかし、金曜日の夜、電話が来て土、日はこの場所に現地の同修を行かせ、私は特別号を配達することになりました。今回は心にそこまで大きい波動はなかったのですが、小さい不満はやはりありました。「なぜ週末にチケット販売さえさせてくれず、客が少ない時しかさせてくれないのか?」よく考えてみたら、私はまだしっかり修めきれておらず、私はまだ私自身を気にして、全体的なことを考えておらず、協調人の立場に立っての考慮もありませんでした。

 実は、チケット販売の最終段階は、毎日がとても重要であり、毎日衆生が私達のチケット売り場を通り過ぎるのに、私は週末ばかりを気にし、あるいはどのデパートか、どこでチケット販売をするかということばかりを気にし、これでは自分自身がチケットをどれぐらい売れるか、ということばかり考えているのではないでしょうか? 人心から生じる仕事への達成感を、大法に混じりこませて自分をアピールする、このような心の存在を許せるのでしょうか? 修煉の道に偶然ということはありえず、すべてが按配されており、どんな常人の心も修めてなくすべきです。ここで、私にこのような機会を与えてくださり、私が常人の心を放下して進歩するよう助けてくださったことに対して、師父と同修に感謝いたします。

(続く)

2010年8月16日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/7/26/227536.html

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