世の中で最も素晴らしい家政婦(二)
(明慧日本)私はやっとの思いで法輪功を修煉することができました。私自身が生まれ変わり、人生観まで変わりました。夫を憎まなくなり、私は前世に夫に借りがあると思うようになりました。私は胃がんが治り、健康を取り戻し、一生懸命に働いて家計を助けていました。夫がやりたくない仕事は、私が黙ってやり、夫に怒られても師父がおっしゃった『真善忍』に基づき、心が動じませんでした。家出したときに誓った悪の誓いも消え去り、法輪功は私を救い、私たち一家を救ってくださいました。
二、勤め先の主人「あなたは最もいい家政婦です」
その当時、私が住む村で、法輪功を修煉する人は私一人でした。大法が1999年に迫害を受けるようになってからは、派出所の警官らが頻繁に我が家にやってきては荷物をあさり、近くに大法の真相資料が配ってあるのを見つけると、恐ろしい形相で我が家にやってきては家宅捜索をしました。私は警官らに、法輪功は人々に良い人間になるように教えていること、自分は法輪功を修煉することによって胃がんが治ったこと、法輪功は世の中の最も良い功法であることなどを伝えました。警官らは聞こうとせず、何も見つからないときは、罵声を浴びせて帰っていくのです。ある日、私は大法の真相を伝えるシールを300枚ほど貼りました。警官らは我が家を捜索し、何も見つからなかったため、私を強制連行して数日間拘留しました。
警察の頻繁な私生活の妨害によって、私は家にいられなくなり、再び路頭に迷う生活をしなければなりませんでした。私はあまり学校に通っていなかったので、知識が少なく、街でのアルバイトといえばほとんど家政婦の仕事でした。私はいつも自分に対して修煉者の基準で厳しく律し、家政婦の仕事をこなし、買い物をするときは一円たりとも横領せず、ご主人の機嫌が悪くて叱られたとしても、私は気にしたことがなく、私は善良な人だとよく言われました。どの家で家政婦をしても、皆は私が最もいい家政婦であると言いました。私はよく、なぜこんなにいい人なの?と聞かれましが、私は、法輪功が唱える『真善忍』に基づいているからです、と答えました。私はどの家で家政婦をしても、その家に遊びに来る親戚や友人に法輪功の真相資料を渡し、「三退」を勧めていました。それぞれの家のご主人にいやがられた事はなっかたのです。
私はある会社の社長宅で家政婦をしていたとき、その社長(女性)はしばらく私を観察した後、法輪功を修煉しているあなたは、今まで雇用した家政婦の中で一番信頼できる、と話してくれました。そして、社長および家族、親戚が三退し、毎月数千元の生活費を一括で私に渡し、私が管理していました。後になって私は、強制連行され不当に労働教養にさせられたとき、社長は知り合いに頼み込んでわざわざ会いに来て下さり、娘の教育費を払ってくださり、釈放されたときは、ぜひ家政婦を続けてほしいと話してくださいました。
私は一人で外にいて、師父は幾度も私を助けてくださいました。広東省で道を横切ったとき、三輪タクシーが私に目掛けて突進してきました。私は避ける時間がないぐらい近づき、当たる瞬間に私は、「大丈夫、大丈夫!」と、口で念じ終えていないうちに、三輪タクシーは私にぶつかり、その三輪タクシーは宙に浮き、その反動で10メートルバックしてひっくり返りました。運転手は這い上がり拳をあげて私を殴ろうとし、私が三輪タクシーをひっくり返したのだと言うのです。そのとき私は、師父が守ってくださったことに感謝しました。
三、時間を切り詰めて人を救う
法輪功が迫害を受けるようになって最初の数年は、他地区でアルバイトをしていたため、同修と接するチャンスがなく、真相資料が入手できませんでした。人を救いたいのですが、どうすればよいのか分からず、私は「法輪大法は素晴らしい」と書いて貼っていました。それから私が知っている真相を文章にまとめ、配布用のチラシに書き写していました。一日頑張っても3部程度しか写すことができず、数十部をためて配りに行きました。写す際は読みやすいように、丁寧に写しました。毎日、手の痛みに耐えながら深夜まで書き写しました。
2004年のある晩、家から電話がかかってきた夢を見ました。私は受話器を耳に当てた瞬間、電話の向うから師父の声が聞こえ、あなたは任務を完全に遂行してないでしょう! と師父がおっしゃってくださり、私はアッと声を出して師父と呼んでいました。そして私は目が覚め、涙が止まらず流れていました。
私はその日から、自分の任務を遂行するため、同修を捜しました。そして同修を見つけ、真相資料を入手できるようになり、以後、私は時間を切り詰めてより多くの人を救い始めました。私は袋いっぱいに『共産党に対する九つの論評』を入れ、街頭に立って人に手渡していました。受け取ってくれる人に、法輪功は良い功法であること、テレビが放映した法輪功に関する内容はでっち上げであること、『共産党に対する九つの論評』に書かれていることは真実であることなどを伝え、理論的なことはあまり言えなかったのです。資料を配るときに怖くないのですか? と同修に聞かれたことはありましたが、私が考えているのは、いかに人を救うか、より多くの人を救うかでしたので、怖いと感じたことはありませんでした。
(続く)
2010年8月31日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/31/227734.html)
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