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三退を勧める中で昇華する

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1998年から修煉してきた大法弟子です。ここで自分の三退の経歴と悟りを書き出し、皆さんと交流したいと思います。

 私は常人の仕事があるので、同修の間で協調のことをやっていると、時間がいつも足りないと感じています。私は出勤前と退勤後に三退のことを行い、休日もほとんどの時間を三退に費やしています。三退を勧める過程の中で、苦しみや喜びもありますが、危険に晒されたこともあります。理解してもらえない人に精神病に罹ったと言われ、聞き苦しいことも言われました。しかし、救われた生命のことを考えると落ち着いてきます。

 三退を勧めることを始めたばかりのときは、いろいろな執着心があり、週に数人を脱退させるのがやっとでした。各種の状況に出会って、私の心性は魔難の中から次第に昇華し、各種の執着と人心を捨て去る事ができました。慈悲心も次第に強まってきました。あれこれ心配して人を選びながら真相を伝えるところから始まり、1日で数十人、三十数人、五十数人から、八十、百人まで脱退してもらうことができるようになりました。三退を行う過程は、自分の心性が高まる修煉の過程でもありました。この過程の中で、隠された人心が暴かれ、次第に除去し、無くなっていきました。師父は縁がある人を私の前に連れて来てくださいました。つまり私達が向上してきたら、もっと多くの衆生が救われるのです。

 以下に三退を行う中での例を挙げます。

 ある日、口のきけない人に出会いました。30歳位の男性で、私を見たとたん、数年前に別れた家族に出会ったようだと私の手を握って放しませんでした。私が何ですかと聞くと、彼は手振りをしながら私を見ました。私は彼が話せないのをみて、どのように彼に真相を伝えたらよいだろうかと考えました。彼に聞くことはできるかどうかと聞くと、彼は頷きました。それならば私が話しますから、正しければ頷いてくださいと言いました。学校に通った事があるかと聞くと、彼は頷きました。その後、少先隊に入ったことはあるかと聞くと、また頷きました。さっき私を引っ張ったのが三退のためかと聞くと、彼は喜んで「あ、あ」と言いながら頷きました。私は彼に「法輪大法が良い、真善忍が良い」と覚えるよう教え、彼に「平安」と仮名を名づけて脱退させました(仮名でも脱退可)。彼は涙を流しながら私の手を握りしめ、私は深く感動しました。話はできませんが、彼は救われることをとても望んでいることが分かりました。彼が離れてからも、私の涙は絶えませんでした。本当に大法弟子の責任感を感じました。

 またある日、私は街で出会った人に真相を伝え三退を勧めました。彼は私の話を聞いてから「あなたは私が誰か分かりますか?あなたは捕まえられることを恐れていないのですか」と話したので、私は彼が警官かも知れないと意識しました。私は続いて話しました。「あなたが警官だとしても私は話します。あなたの仕事のいかんに関わらず、あなたを救われなければなりません。私の師父はおっしゃいました。スパイだとしても、救うべきだと」 彼はそれを聞いて「私は本当に法輪功に感服します」と言いました。私は彼が党員かと聞いて、彼に三退を勧めると、彼は脱退に応じました。話の中で彼は安全局の警官だということが分かりました。師父の保護の下で何の危険もなく、相手も救われました。

 2010年8月のある夜、私は同修と真相を伝えに行きました。100人に脱退してもらったので、私はもう少しがんばって150人まで脱退させましょうと話しました。この数を求める心と歓喜心が邪悪に隙に乗じられたのか、その後われわれは2人の青年に出会い、話そうとしたとたん、相手にいきなり拳で殴られました。彼らは警察で、公安局に連れて行こうとしました。どのように話しても無理で、彼らは電話をしてパトカーを呼びました。私は時間を引き延ばしてはいけないと気付いて、同修の背中を押しました。同修は2、3メートル離れたので、私は2人の警官を引っ張りました。警官は私を倒して、手を放せといいましたが、私はしっかり掴んで、同修が逃げ出す時間を稼ぎました。それで同修は逃げ出しました。その後パトカーが来て、4人の警官が降りて、私を車に乗せて派出所まで連れて行きました。私は直ちに自分の不純な念を正して、恐怖心を放下して彼らに真相を伝えました。警官は私に話させず、私に前科があると話しました。私は前科ではなく迫害されたのだと言いました。その後私は発正念を30分くらいしました。よる10時ごろ、警官は私に書類に署名するように言いましたが、私は断りました。警官はしたくなければ家に帰りなさいと言いました。これで師父の保護の下で派出所から無事に脱出しました。

 三退の道はいろいろありますが、出遭った苦しみに意気消沈してはなりません。「苦を嘗めるをもって楽と成す」(『その心志を苦しめる』) 苦の中にわれわれの楽しみがあり、それがすなわちわれわれの向上です。多く脱退してもらっても歓喜心が生じてはならず、本当に着実に自分を修め、三退のことを自分の責任にして、基点を正しくおくべきです。

2010年9月3日
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/28/228890.html

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