日本明慧
■印刷版   

人心を取り除き 法を師とする


文/中国武漢の大法弟子・美姑

(明慧日本) 私は今年72歳です。かつて一時期、集団学法を離れていましたが、その損失はきわめて大きく、心から深く後悔しており、書き出して他の同修の参考になればと思います。
 
 私が全体から離れている時、夫(同修)が亡くなり、私自身の足と腰は我慢できないほど痛く、五つの病院が「生涯、半身不随になる」と診断しました。夫は死ぬ前に私に言いました。「あなたは早く汪芳(同修、偽名)を探して、よく法輪功の修煉をしなさい。さもなければ、あなたはすぐ私のようになる」と。葬儀をすませた後、私は汪芳さんを訪ねて、集団学法に誘われました。
 
 私が師父に懺悔した時、足と腰の痛みが突然ばくなりました! それから私は歩くのが軽やかになり、それからすでに5年経ちました。数年来、私は毎日7階を上り、家族の食事の世話をしています。72歳の私が家族の大黒柱になりました。
 
 私は早く損失を補いたくて、精進していると思われる同修を観察し、彼らから学びました。しかし、学法が足りないため、ただ彼らの表面だけをまねました。例えば、誰の服装が清潔とか、座禅の時間が長いとか、話し方が人を惹きつけるとか、投獄されたことがないとか、師父の講習に参加したとか、三退させた人の数が多いなど、私が崇拝する対象はこれらのことでした。
 
 法を読む時、彼の読み方が遅いと、私もゆっくり読み、ゆっくりした方が深く理解できると思いました。しかし、他の人が速く読むと、読経は一心不乱でなければならないし、流暢なことが熟練を表していると思って、私も速く読みました。その結果、学法は表面だけのものになりました。私が崇拝したある協調役の同修に深刻な病業状態が現れ、入院したうえ手術を行って、私をとても驚かせました。私は人に学んでいたのです。法を学ばなくていいのでしょうか?
 
 また私達のグループは午前9時から午後2時まで法を学び、昼ご飯は持参します。私は、その家の人がおかゆを作ってみんなにふるまうのを見て、わが家に来る時は、同修をもっともてなそうと思いました。私はおかゆにさつまいもや緑豆を入れたり、また炒めものを二つ作ったりしました。その結果、心が学法に向いていませんでした。皆は、これは良くないと言いましたが、私は聞く耳をもちませんでした。ある日、圧力鍋のふたが吹き飛んで、おかゆが噴き出したので、やっと目が醒めました。
 
 師父はかつて「一部の人は師父の回りの人に学び、立ち居振舞いさえ学んでいる」とおっしゃったことがあります。私がこのような人ではないでしょうか? これは最大の人心と執着で、人を師にしており、きわめて危険なのです。かれらは修煉者であり、彼があなたを天に連れ戻すことができるのでしょうか?
 
 目が覚めてから、私は学法に精進し、心がぱっと開きました。師父は何でもはっきりとおっしゃいました。私達に天に昇るはしごをくださいました。あとは私自身が上へ登るかどうかなのです。
 
 この経験は私に、家へ帰る道を正確に示し、必ず学法をしっかり行い、法を師にして、初めて方向を見失わないのだと深く体得しました。浅い悟りなので、足りないところは慈悲にご叱正を願います。
 
2010年10月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/19/231203.html

■関連文章
崇拝する心を取り除き、口を修めること
師と法を信じて 心性を向上させる(二)
師と法を信じて 心性を向上させる(一)
難関に面して、師と法を忘れていないか
法を実証する中で人心を修めて捨て去る(四)
法を実証する中で人心を修めて捨て去る(三)
法を実証する中で人心を修めて捨て去る(二)
法を実証する中で人心を修めて捨て去る(一)
師と法を固く信じれば、邪悪は私たちを迫害できない
師を敬い、法を敬うことができない行為を正そう