■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/11/mh120873.html 



責任と使命

文/中国の法輪功修煉者

(明慧日本)同修が書いたある文章を読みました。中にはたくさんの神が師父の前で誓約を立て、師父に手伝って法を正し、衆生を済度することが書いてありました。私は涙が止まりませんでした。私の本性では自分が背負っている責任と使命がよくわかっています。さらに、今回の修煉は普通の修煉ではないことも知っています。自我のすべてを放棄することは、根本的なことなのです。
 
 私は何年も資料を作ってきました。私の資料拠点は地元ですでに公になってしまいました。それは、自分が気付かなかった人為的な要素のよるものでしたが、ここまで来た以上、私は恐怖心を捨てるしかありません。学法をしっかり行ない、正念を強め、以前のように資料を作っています。そして、これからも作っていくと決めました。法を実証するのに必要である限り、力の限り作っていこうと強く思っています。
 
 ある日、他の地方の同修はプリンタを何台も運んできて、私に修理を頼みました。大法の資源ですから、私は喜んで引き受けました。妻と息子も手伝い、細かく検査して、修理できるものとできないものを分け、修理できないものを解体し、まだ使える部品を種類別で保存しておきました。これはとてもやりがいがある仕事だと分かっています。息子は16歳で、幼い時から機械を扱うのが好きで、手がとても器用です。分析能力も高く、また幼い時から法を学んでいるので、心性もよても良いのです。彼は大部分の機械を解体し、私たちはいろいろ組み合わせて、6台の使えない機械を2台の使えるものにしました。他の機械は全部解体しました。
 
 機械を修理する過程は、故障の原因が分からない状態から分かるようになり、焦る状態から落ち着けるようになり、何も分からない状態から自信がつくまで、確かに私たちはいろいろと勉強になりました。初めのころはある機械の状況を見て私は、どうして機械をこのように汚く使ったのか、どうして大切に使わなかったのかといろいろな不満が生じました。しかしすぐに、同修に不満を持ってはいけない、境地が違うのだから、たぶん彼は気づいていないからかもしれない、と考え直しました。
 
 私はずっと地元の10か所あまりの資料拠点の技術や消耗品の分配と資料の協調の仕事を担当しています。自分の力でできないときに師父は他の地方の技術に詳しい同修が助けに来ることを按配してくださいました。だから、私はずっと大法弟子には何でもできて、何も私たちを困らせることはないと思っています。というのは、私たちは大法弟子で、一番正しい道を歩いているからです。この十数年で、どれほど各資料拠点の間を奔走し、技術を教え、機械を修理したか分かりません。
 
 ある冬の日、道は氷と雪に覆われていました。同修は機械が壊れたので、私を呼びました。空は暗く、道は凍っていました。バイクでどうやって行けるのかと思いましたが、すぐに、私は誰でしょう、大法弟子です、何も怖いことはないと考え直しました。妻は私に、行かないほうがいい、道はとても凍っていると言いましたが、私は「大丈夫」と言って、バイクで行きました。道は凍っていたので、路上は車が一台も走っていませんでした。でも私は、無事に目的地に着きました。途中で「これは修煉です。行かなければ向上する機会を失ってしまうだけでなく、地元の法を正す進展にも影響されます。これを逃してはいけません」と私は考えました。
 
 技術を教える過程で、私の心性は確かに大きな試練を受けました。たとえば、何もできない同修に教えるときに、言葉がきついだけではなく、謙虚な心も全然ありませんでした。後で考えれば、それは私のメンツを重んじる心、虚栄心、独断する心ではありませんか。それから、またその同修に会ったら、私は心が動じないよう、できるだけ彼女が分かるように教えました。
 
 常人の心が重い同修がいて、心をこめて資料を作ることができず、情に陥ったせいで、機械がいつも故障してしまい、全然自分で修理せず、私に頼んできます。私はいつも彼女たちを責めました。でも後で、それは外に向かって求めていると分かりました。どうして、私にそのようなことを見せたのでしょう、私に修めるところがあるのではないでしょうか。それから、私は文句や不満を持たないようになりました。機械が壊れたら修理し、そして同修にも参加させ、彼女たちの角度から、彼女たちの境遇を考えると、私は怒らなくなりました。同修も変わりました。めちゃくちゃだった資料拠点は整うようになり、技術の難題(私にも解決できない)を解いた同修もいました。そして、資料拠点に気を使うようになりました。
 
 この数年間、いくつかの資料点は確かに成熟し、同修の需要を満足させられるようになりました。しかし、落ちてしまった同修もいます。資料も作らず、マージャンをやったりして、関と難が絶えず出てきて、とても残念なことです。
 
 去年、協調人は私の家に消耗品を置いてもいいかと相談しました。私は躊躇せずに承諾しました。それから、消耗品を担当するようになりました。私はずっと合理的に時間を按配してきました。仕事は忙しくないので、勤め先で学法する時間が十分あり、家に帰ってから大法のことをやります。数年間ずっとこのようにやってきました。私は何をやるのにも自由で、すらすらとできます。必要なものなら、何でも手に入り、順調に法を実証することができます。地元の環境も良くなりました。たいてい一緒にパンフレットを配り、毎回1万冊あまりで、毎年だいたい5回ぐらいです。日頃みんな積極的に面と向かって真相を伝えています。
 
 たくさん学法することは、私たちがしっかり法を実証する最高の保証です。これがよく分かっているので、毎日勤め先でたくさん学法するようにしました(仕事には影響はありません)。
 
 この数年から、私たちは法を実証するためのどのプロジェクトを担当しても、しっかりとやらなければならないことが深く分かりました。それこそ私たちの修煉で、私たちのこの世にいる目的なのです。 
 
2010年11月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/20/228581.html

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