■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/18/mh192540.html 



迫害の中で一心に衆生を救い済度する(二)

文/中国の大法弟子 韓梅

(明慧日本)ある日、私は同修と一緒に真相資料を配りに行く途中、中共の警官に連行された。彼らは私を重要人物として扱い、秘密に県の刑務所に移送した。私は私たちの活動の詳細を明かさず、警官が脅したり利益で誘ったりしても何も話さず、師を信じ、法を信じる念を持ちながら、警官に真相を伝え、善の心で彼らを感化しました。彼らは「お婆さん、私たちを憎まないでね、私たちは上からの命令を受けているので仕方ないのです」と言いました。
 
 迫害に加担するある人は意地悪で、私を寝かせず、順番に私を監視しました。私は大声で「私は70歳すぎですよ。あなたたちが私を寝かせないことは、本当に極悪非道です」と叫びました。彼らは私が憎んでいると思っていて、私は「あなたたちを救いたいだけなのに、どうして憎むでしょうか」と言うと、彼らは私の睡眠の妨害をやめました。私は、彼らが中共に騙されている状態を見てかわいそうだと泣きました。その後、彼らにたくさん真相を話しました。真相を知った彼らはそれから迫害に加担することをやめました。
 
 どんな人も、私が救い済度すべき人だと思い、警察に対しても囚人に対しても、自分の子供のように接し、善の心で真相を伝え、後悔を残さないようにしました。一部の囚人は人生に対する自信を失っていました。私は大法の真・善・忍で彼らを啓発し、人生はどんなものであるかを教えました。ある死刑囚は、激怒して夫の愛人の子供を殺したことで、数日後に死刑を執行される予定でした。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(もしも、朝に人間としての生きる道を聞くことができたならば、その日の夕方に死んでも心残りはないということ)」という言葉があります。死ぬ前に彼女に「法輪大法は素晴らしい」を知ってもらうため、私は彼女に『洪吟』と「法輪大法はすばらしい」を教えました。彼女はずっと唱えました。結局、死刑が執行される前日の朝、警官は突然彼女に執行猶予に変更したことを伝えました。そのとき、周りの人たちは皆感動し、彼女も泣きながら、「法輪大法が私を救ってくれました。私は法輪功を学びます」と言いました。
 
 2003年、私は再び中共に連行されて3年の不当判決を下されましたが、私は大法を信じ、師父を信じ、生死を放下し、旧勢力の按排を否定し、邪悪の要求に応じませんでした。省の女子刑務所で迫害に加担するは毎日、邪悪なDVDを放映して私を転向させようとしましたが、私は正念を発し続け、彼らの考えを変えました。ある日、刑務所のチーム長は笑顔で私に「あなたに変えられてしまいましたよ」と言い、私は笑って「それがあなたの幸せです。同僚に大法修煉者を迫害しないように伝えてください」と言いました。
 
 この数年、私は5回直訴し、3回連行され、いくつかの中共の刑務所に入れられましたが、どこでも善の心で中共の警官に真相を話しました。ある警官は私に、新しい受刑者が何人来るかを教えて、私に真相を伝えるよう話しました。
 
 私は旧勢力のいわゆる試練を経験し、残酷な迫害を受けましたが、憎まず後悔せず、心性が向上して成熟してきました。刑務所や拘留所や洗脳班などでも、私の大法に対する信念は変わらず、邪悪に脅迫されても「保証書」を書かず、正々堂々と、中で多くの人々を救い、徹底的に旧勢力の按排を否定しました。
 
 家に戻ってきた私は三つのことを行い、学法し、師父の経文を全部何回も拝読しました。同時に、同修と一緒によく農村へ真相を伝えに行きました。私は同修とよく協力し、順番に正念を発し、1軒1軒に資料を配り、真相を伝え、真冬も真夏もやめず、自転車に乗って百キロ以上走り、毎日充実して楽しく過ごしました。
 
 私は生死を放下し、恐怖心を取り除き、中共のいわゆる「敏感日」にも心を揺るがすことなく、師父の「本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」(『転法輪』)の教えを信じ、師父の大きな法像を正々堂々とリビングに置きました。
 
 この数年、衆生を救い済度してきましたが、まだ十分にできていません。これからも、自分の使命を忘れず精進します。
 
 (明慧ネット第7回中国大陸大法弟子ネット法会)
 
 (完)  
 
2010年11月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/11/5/231949.html

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