■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/22/mh230926.html 



マスコミの仕事の中で修煉し、衆生を救い済度する誓いを果たす(二)

(明慧日本)このすべては、師父が与えられたのだと、私は深く実感しました。私は、ただ記者支局をより良くしたいという願望だけで、自分の数年間の記者としての経験をすべて新しい記者に伝え、後任者がより良く衆生を救い済度する本領を発揮するための環境を作っただけです。私は、すべての記者に対して書面上のトレーニング計画を作ってはいませんが、記者たちにニュースを選ぶときは、頭の中ではあたかもすでに計画済みのように、簡単に記者たちにさまざまなジャンルのニュースを作成させることができました。私は努力をして、時間をかけただけで、記者支局の同修たちの専門性がぐんと高くなりました。これほど嬉しいことはありません。
 
 私は学校にいたとき、管理を専攻してきまいた。その後、商業管理の仕事につきました。しかしながら、修煉者の角度でもう一度、何が良い管理なのかを考えてみると、これまでの理解は非常に浅いものであることに気づきました。実は、管理の善し悪しはすなわち、自分の「真・善・忍」の各方面における修煉状態の表れなのです。
 
 某マスコミ専門家からも、報道の仕事はチームプレーであり、編集者は業務と生活の両方面から記者に関心を寄せる必要があると話しました。修煉者の話でいうと、報道の仕事はしっかり協調し合う必要があり、編集者としては常に他の人のために考えなければならないと思います。
 
 師父は『2009年ワシントンDC国際法会での説法』の中で、「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」とおっしゃいました。記者支局の協調の仕事の中で出会ったいかなる問題も、内に向けて探すべきだと感じました。最初、記者支局の当直状況が良くなく、記者の数も足りませんでした。そこで、なぜ十分な記者がいないのか、と考えました。
 
 また、師父は『2009年大ニューヨーク国際法会での説法』の中で、「私が思うには、プロジェクトの全体の協調は本当にできたのでしょうか? まだ不足があるのではありませんか? もし本当にしっかり行うことができ、作用も発揮していれば、環境を変えることができ、場合によってはマスコミの影響で社会のさらに多くの人がマスコミを見にきたり、真相を求めたり、大法を探しにきたりします。本当にここまでできれば、人手が足りるようになり、絶えず新しい人、能力のある人が参加するようになります。実は、その一歩を踏み出せないときは、どこかの不足によるもので、それが原因で困難に遭っているのではないかと見るべきです。本当に良く行うことができれば、状況が変わり、改善されます。本当にこのようになります」とおっしゃいました。
 
 師父の説法に沿って考えてみると、私たち全体の協調に問題があると気づきました。特に、私個人が積極的に皆さんと面と向かって記者支局の重要性について交流していないことに問題がありました。このような問題があることは、すなわち、自分自身を守りたい、虚栄心、そして言っても聞いてくれないという恐怖心があるからだと気づきました。
 
 これらの良くない心を取り除こうと決意してから、私は報道の協調人と交流した結果、皆さんと面と向かって法を学び、交流することにしました。このような背景で、今回のクリスマス前の集まりを経てから、大きな改善が見られました。記者支局の同修たちが共に精進し、共に協調することで、今ではますます多くの同修が記者支局に参加し、さまざまな仕事に就くようになりました。
 
 ある日、代理編集者の一人が、代理編集制度を実施する必要はない、編集者が直接ニュースを選択するほうが良いのではないか、との提案を出しました。これを聞いた私も、自分と代理編集者との協調の仕方及び仕事の進め方に問題があると感じました。その後、この代理編集者と交流しました。最初、代理編集者は記者支局の仕事をやめたいと考えていましたが、何度も交流した末、代理編集というポストを設置するのは、将来の編集者を育成するためであることを理解してから、続けて代理編集の仕事をしていきたいと言いました。彼女の考え方が変わる過程で最も深く感じたのは、問題が現れたら、誰が間違っているのか、誰の責任なのかなどと指摘し合い、責め合ったりしてはならないのです。なぜならば、誰もが指摘や糾弾で向上するのではなく、内に向けて探して、まず、どうやって自分を改善するのかをみるのです。同修には、できるだけ多くの理解と寛容をもって接すべきです。
 
 毎週一回の定例会は、みんなが交流しあったり、情報交換する場所です。私としても、定例会を通して記者たちの記者支局に対する考え方を理解することで、自分自身を改善するために活用してもらいました。また、同時に、すべての記者は何を必要としているのかを理解することで、記者がスムーズに仕事ができるように助けることができるようになりました。私は記者たちの不足を補う役者だと感じました。どんな事だろうと、必要なときは必ず自分のできる最大の支持で相手を助けるのです。
 
 (二〇一〇年ニューヨーク法会で発表)
 
 (続く) 
 
2010年11月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/10/229361.html

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