日本明慧
■印刷版   

少女の願いー「パパに会いたい」(二)(写真)

(明慧日本)
 
  劉さんが刑務所で受けた迫害
 
 警官は、劉さんを「転向」させるために、さまざまな手段を使って苦しめました。断食で迫害に抗議している劉さんに対して、灌食しました。灌食だけでも十分苦しいのに、灌食の際、警官は劉さんの体を固定し、親指ほどの太いゴムチューブを劉さんの鼻に通し、劉さんが意識不明になるまで何度も何度も繰り返しました。苦しめられた劉さんは、力を振り絞ってゴムチューブを噛み切って、チューブの先端を飲み込みました。それでやっと警官は灌食をやめました。
 
 劉さんはその迫害で寝たきりになり、下半身の感覚がなくなりました。その後、病院でゴムチューブを胃から取り出し徐々に回復することができました。
 
 その後、劉さんは独房に閉じ込められました。警官は、毎日受刑者6人を連れてきて、精神を崩壊させるために交代で劉さんを苦しめました。毎日午後になると、受刑者たちは、劉さんの頭に段ボールを被せて囲み、罵りながら頭を殴りました。そのため、劉さんは3度も気を失いました。
 
 劉さんはトイレへ行くとき、トイレットペーパーを使うことが許されず、手で拭くよう強いられました。警官は劉さんがトイレに行く時間を決めてはいるものの、時間になっても行かせないことがあり、わざと椅子や、ベッド、ズボンの中でさせることもありました。
 
 劉さんは常に暴行を受けているため、両足の筋肉が萎縮してむくみ、あざだらけでした。受刑者らが、劉さんの腫れている皮膚を手で擦ると、皮が剥けてしまいました。ある日、劉さんは足と鼻を擦られて10センチと、5センチほどの皮が落ちてしまいました。
 
 寒冷の冬の夜に、警官は、冷たい風が入り込むようと劉さんの部屋の窓を全開にしました。一枚の服しか着ていない劉さんを、冷たい風が通るところに1回につき30分ぐらい立たせ、それを一晩に数回やらせました。
 
  パパのことが心配
 
 劉さんが収容された後、欣欣ちゃんは同い年の子のできないことができていました。6歳で小学校に入学してからは、自分でお昼ご飯を電子レンジで温めたり、外で買ったりして食べました。幼い欣欣ちゃんは自分のことより、刑務所で迫害を受けているパパのことをとても心配していました。
 
 欣欣ちゃんは大人たちの話から、パパが刑務所で受けた迫害を知り、いつも一人で泣いていました。学校が休みの日に、欣欣ちゃんはいつも「パパに会いに行こう」と、ママにお願いして一緒に行きましたが、親子で刑務所に行っても、面会を許してくれず、パパに会えなかったのです。
 
 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 
 
 (続く) 
 
2010年12月10日

■関連文章
少女の願いー「パパに会いたい」(一)(写真)