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安徽省蚌埠市:女性技師が受けた残忍な迫害の実態(二)

(明慧日本)二、刑務所病院の毒針
 
 2003年7月30日午後、陳院長は大勢の警官と受刑者の前で梁さんに向かって「お前の市の610弁公室の人が来た」と叫んだ。それから5、6人の受刑者はコンクリートの地面に倒れた梁さんを鉄のベッドに「大」の字に縛って手錠をはめ、不明な薬物を注射した。
 
 数分後、梁さんは下半身から大量出血して気絶した。下の血圧はゼロになり、上の血圧は30mmhgにも及ばず、心拍が停止した。毛という主治医は300元を出して梁さんを蚌埠(ほうふ)病院に送らせた。数時間の緊急治療の末、梁さんは死の淵から蘇った。
 
 しかし、梁さんは2週間以上経っても目を開くことができず、話す力もなかった。1カ月後にようやく座れるようになったが、すぐ倒れてしまった。五臓六腑から出血して痛みがあり、血尿が止まらず、四肢は黒い饅頭のように腫れあがり、体はひっきりなしに震え、足の裏から出血して膿が出た。
 
 このような体になっても、梁さんは依然として「大」の字の形で鉄ベッドに長期にわたり縛り付けられた。48日後、警官は家族から5000元をゆすり取った後、梁さんを刑務所の病院から出した。梁さんの体は極めて衰弱し、ゆっくり歩くのが精一杯だった。梁さんは血尿、吐血、心臓病、足の裏から膿が出るなどの後遺症が残った。
 
 三、労働教養と相次ぐ恐喝
 
 梁さんが刑務所の病院から帰宅後、610弁公室の張培傑は梁さんの自宅に行って恐喝し、居民委員会(中共の末端に連なる住民の自治組織)も絶えず脅しの電話をかけて来た。派出所の警官も「報告書を書きなさい」と言って迫った。
 
 半年後、体が回復していないにもかかわらず、梁さんは、また3年の労働教養を強いられた。
 
 梁さんの母親は、長期にわたり絶えず家財を没収された。身内が連行されて監禁され、ひっきりなしに続く恐喝や嫌がらせの中で、2006年3月に亡くなった。
 
 2006年5月12日、梁さんの母親が亡くなって2カ月も経たないうちに、警官・百正は、数人を引き連れて、家財を没収しに来た。梁さんはしかたなく3カ月間家を離れた。
 
 四、再び路頭に迷う
 
 2008年3月5日、蚌埠市の20数人の法輪功修煉者の家財が同時に奪われた。居民委員会・金キンの引率の下、公安局長・高峰をはじめ、刑事警察・史勇などの10数人は、専用の道具で固い扉を壊して梁さんの家に侵入した。家はひっくり返され、息子さんの勉強用の英文映画テープ30本、ビデオデッキさえも奪い去った(梁さんの息子の専門職はテレビ番組の制作)。
 
 当時63歳の梁さんは留置場に連行されたが、危篤に陥ったため家族が連れて帰った。半月後、新城区610弁公室の楊課長、派出所の秦という警官が梁さんの自宅に行き、「合肥で『1年半労働教養をさせる』よう、上から指示がある」と言いふらした。
 
 合肥女子労働教養所は梁さんに検査を受けさせ、体調不良のため拘禁できなかった。それでも彼らは諦めず、105軍隊医院で検査させた。確かに血圧が高く、心拍数も高いため、仕方なく夜中に梁さんを蚌埠市に帰らせた。検査にかかった費用は家族に請求した。
 
 610弁公室は、「蚌埠市で7月から洗脳班を設立する」と、言いふらした。梁さんは再度家を離れて、路頭に迷った。2008年6月、公安局長・高峰は梁さんを探して洗脳班に入れようとした。
 
 2010年の1年間の給料は支給されていない。
 
 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
 
2010年12月17日


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