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「普度」の音楽が、私を修煉の道に導いてくれた


文/中国遼寧省の大法弟子・秋実

(明慧日本)1998年のある朝、悠揚なる素晴らしい音楽が聞こえてきました。私は今までこのような素晴らしい音楽を聴いたことはなかったのです。そして、私は音楽が流れてくる方向へ歩き始め、たどり着いた場所は法輪功修煉者の煉功場で、その音楽は「普度」だったのです。続いて煉功の音楽が流れ始め、誰かに指図されることもなく、人々は自発的に整列し、ラジカセから流れてくる号令に従って煉功を始めました。煉功を終えた後、その人たちは周囲をきれいに掃除して、その場を離れました。
 
 帰り道、法輪功修煉者の会話から分かったのですが、近いうちに大規模な交流会が開催されるとのことでした。私も参加して交流を聞きたかったのですが、残念ながら入場券がなかったので、非常に残念だと思いました。ちょうどその時、後ろからある人に声をかけられ、「あなたは交流会に参加したいのですか?」と聞かれました。私は「参加したいのですが、入場券を持っていません」と答えました。彼女は、「ちょうどいい、私は用事ができて行けなくなったので、このチケットをあなたに差し上げます」と言って、チケットを渡してくれました。私は代金を渡そうとしましたが、彼女は受け取ってくれませんでした。しかも、私たちはお互いに知らなかったので、申し訳ないと思いました。
 
 そのときの交流会は、千人以上の修煉者が参加し、それぞれの修煉体験を発表していました。会場は静けさに満ち、皆が話を真剣に聞いていました。発表者の皆が「真、善、忍」という崇高なる境地で、自分に対して厳格に要求していることに、私は感動を受けました。交流会が終了した時、場内放送で、「落とし物を預かっています、落とされた方はステージの上に来て受け取ってください」とのアナウンスがありました。皆が秩序を守り、静かに会場から出ました。会場の中はごみ一つさえも残っていなかったのです。これらのことを目にして、このような人たちと出会い、このような場面を見て、いろいろな経験をさせてもらい、法輪大法は素晴らしいということが分かり、大法の修煉者の境地が高く、他にこのような団体は存在しないと思い、このときから私は法輪大法を修煉することを選び、返本帰真の道を歩み始めました。 
 
 初めて煉功場所に行ったとき、皆は目を閉じて煉功していましたが、私は目を開けたまま煉功を学びました。そして、私は軽く目を閉じてみました。両手を伸ばすとき、両手が芭蕉の葉のように大きくなったように感じていました。目を上げて両手を見るといつもの大きさですが、目を閉じていると、大きくなっていると再び感じていました。私はその状態を気にしませんでした。
 
 その後、私はグループ学法に参加しました。初めて『転法輪』を読んだとき、読んでいるうちに、あるページで一つ一つの文字が、実際の文字の大きさよりかなり大きくなっていき、私は驚きました。そして、私は文字が大きくなったページを紙で挟み、学法が終わってから、そのページの文字が大きくなったままかどうかを確認しようと思いました。最後に確認したときは、文字の大きさは普通の大きさに戻っていました。
 
 中国の東北地方の12月はとても寒く、温度が氷点下25度まで下がります。ある日の煉功に、私は慌てて出かけたため、手袋の片方を忘れてしまいました。煉功のとき、私は片手に手袋をつけただけで、我慢できるところまで煉功しようと思いました。しかし第二式を煉功していたとき、手袋をしていない手が燃えるように熱くなりました。私は大法の奇跡を再び体験することができたと同時に、人間の観念で大法を理解してはならないということを学びました。
 
 私は学法するようになってから、修煉者が「真、善、忍」に基づいて良い人になるということが分かりました。そして、私は自分の行いの一つ一つについて、大法に照らすようになりました。ある日、私は1キロの豚のスペアリブを買いました。家に戻ってから量ってみると、1.5キロあったので、私は迷わず多かった肉の代金を払いに行きました。肉屋さんは、私に感謝していました。私は法輪大法を修煉していますと言うと、肉屋さんは、法輪大法は素晴らしいと褒めてくれました。さらにある日、私は市場で買い物を済ませて、野菜売り場の前で車に荷物を積み込んでいました。野菜売り場の主が罵声を浴びせ始め、すぐその場から立ち去るようにと言いました。私は穏やかな態度で「すみません」と謝り、急いでその場から離れました。私は相手と言い争わず、自分の非について内に向けて探しました。
 
 数年前、私が勤めていた会社は改革を行うため、人員削減しなければなりませんでした。そのため、全社員に休暇を与えました。年齢が上の人たちは、若者より自分が解雇されるのではないかと心配していました。常人たちは名利のため、安らかな日々がなく、あちこちへと尋ねて動き回り、情報を入手しようとしていました。私は家で学法して、それらのことを気にしませんでした。周りの同僚は、私に裏の手があると思い、だから動き回らないのだと思っていたようでした。休暇が終わり、皆が出社したとき、会社から告げられたのは、人員削減という話をなしにするとのことでした。常人たちの動きは無駄になったわけです。
 
 会社では職位を決める時期になると、職位は給料と直接関連性があるので、常人はお金で買収するとか、あらゆる方法を使い、限られている職位を手に入れようとします。私の知るところでは、今まで職位を手に入れた人々は、裏取引をしていました。私は大法の修煉者なので、名利について争うことなく、いつも譲っていました。そして、私はこのようにすればするほど、上司は私を推薦していました。私は結果を求めず、職位を決めるのに参戦しました。結果として、私は三度の関門をことなく、乗り越えることができました。そして私は裏取引なしで、初めて職位にたどりついた人となりました。まさに師父がおっしゃったように、「求めなければ自ずから得ると言います」(『法輪佛法(シドニーでの説法)』)なのです。
 
 私は自動車やバイクに三回ぶつけられました。師父が守ってくださいましたので、傷一つ負わなかったのです。運転手も運のよい人で、大法弟子にぶつけたので、一銭も支払わずに済んだです。 私は修煉の中で、数え切れないほどの奇跡を体験しました。
 
2010年12月20日

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