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私たちはすべての約束にまじめに対処しているのか


文/中国の大法弟子

(明慧日本)明慧ネットで「遼寧省営口市大石橋の法輪功修煉者・徐正強さんが2011年1月29日に釈放された」という記事を見ました。少し前、明慧ネットで、この同修が釈放される予定だと知ってから、発正念が必要だと思い、この数日間、正時に発正念をする時に、この同修と他の数人の同修のために発正念をしていました。
 
 釈放されたという情報をすぐに周りの同修に知らせましたが、同修は重視せず、すでに名前を忘れている同修もいました。人数が多くて、名前を覚えられないという人もいます。実際、最近の発正念で加持している同修は8人ぐらいで、多くありません、名前を覚えることは難しくありません。「強い正念であればあるほど、大きな威力があるのです」(『精進要旨二』「同じく二言三言」)
 
 私たちは自分を甘く見てはなりません。法を実証する中の、些細な事でも重要です。適当に対処してはならず、まじめに取り組むべきです。私たちが行っている小さな事でも、神は記録されています。発正念を担当することも同じく重要です。拘禁されている同修を発正念で応援することを担当する同修は、長く続けてしっかりとやるべきです。でなければ、将来ある日、真相が明らかになったら、私たちはどうやって彼らと彼らの衆生に顔を合わせるのでしょうか? 
 
 有史以前の誓いを果たすということを私たちはいつも言っていますが、この誓いはそれぞれの法を実証することに力を尽くすことを含みます。今は、多くの同修が外で真相を伝えないときに、家で正時の発正念を続けられますが、私たちはすべての発正念にまじめに取り組んでいるでしょうか?
 
 個人の次元に限りがあり、間違っているところがあれば慈悲なる指摘をお願います。 
 
2011年02月20日

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