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中国共産党が作った「幼児刑務所」(写真)


文/宜家言

(明慧日本)幼稚園入園の年齢になった娘をとても良い幼稚園に入れたいと思っています。私の思う良い「幼稚園」とは、もちろん子供に良い食事、良い遊び環境を提供でき、また良い道徳教育をしなければなりません。残念ながら、このような幼稚園は中国にあっても希少なものだと分かっていますが、どうしても一水を隔てた台湾の「豆豆」幼稚園に憧れてしまいます。
 
 台北県永和市の明慧学校に所属する「豆豆」幼稚園は、創立されて長くありませんが、「東洋と西洋の幼児の楽園」に好評されるまでなり、子供をこのようなところに預けると保護者は安心するほか、感動の気持ちにも包まれます。
 
 台北の糖糖ちゃんは、知能が同年齢の子供より少し遅れて、5、6歳になっても1から100まで数えられず、数カ月教えても覚えられません。お母さんは最初、彼をある名門幼稚園に入れました。そこでは、糖糖ちゃんの勉強が他の子供についていけないため、よく笑われたりしました。お母さんはまた彼を田園小学校に転校させました。1カ月が過ぎて、糖糖ちゃんは依然として毎日楽しくなれません。最後に、お母さんは糖糖ちゃんを「豆豆」幼稚園に入れてみました。数日後、糖糖ちゃんは家に帰って「ママ、いつも助けてくれてありがとう」と言いました。それから、糖糖ちゃんの情緒は少しずつ落ち着いて安定し、学習能力と表現能力も飛躍的に進歩して、1から100まで数えられるようになりました。幼稚園で習った「真・善・忍」を帰ってから家族と分かち合うこともできました。お母さんが怒った時に、糖糖ちゃんはお母さんに「ママ、忍をしましょう」と言います。卒園式で、糖糖ちゃんの父親が舞台に上がって幼稚園に感謝を表しました。「豆豆」幼稚園の愛の教育が息子を救ってくれたと語った時、感動の涙をこぼしました。
 
 とても活発な園児、よく騒ぐ園児、反逆的な性格の持ち主の園児、勉強嫌いな園児、誰もが皆、入園してから楽しくて毎日進んで幼稚園に行きたがっています。彼らのお母さんたちも涙がぼろぼろ流れるほど感動し、感謝しています。善善ちゃんと真真ちゃん姉妹の父はフランス人です。お母さんは「入園の初日から二人はここが好きになりました。二人は家でよくけんかをして、お母さんの話も聞いてくれなくて、良いものを互いに分かち合おうとしませんでした。でも、入園してから二人はとてもここが好きで、たくさんお友達を作って、けんかもしなくなりました。毎日楽しくて、ここの食事も好きだそうです」と話しました。

園児が一緒に法輪功の功法を練習

園児が一緒に法輪功の書籍『洪吟』を読む

 「豆豆」幼稚園の外観と内装はとても質素ですが、法輪大法「真・善・忍」の原則に基づいて設立したため、園児も保護者もここから良いものを習得できました。子供たちは異なる家庭と文化の背景を持っていますが、同様に「真・善・忍」の恩恵を浴びています。ここでは、子供たちの心が純真と善良に満たされ、保護者も良い親子関係を作れます。喜ばしい成長、様々な感動はともに法輪大法のおかげです。
 
 しかし、中国共産党の統治下に置かれる中国本土では、法輪功修煉者の子供はまったく別の扱いをされます。生後6カ月の赤ん坊が留置場に監禁されることを、皆さん想像できますか? 6歳の幼児が2回も留置場に拘留された経験を持つことを、皆さん想像できますか? 4歳の幼児が当局に連行されてから、未だに行方不明で何の消息もないことを、皆さん想像できますか? 記者に詰問された当局の職員が道理の通らない強弁をすることを、皆さん想像できますか? 想像しがたいことですが、すべては確かに中国で起きています。
 
 いくつかの実例を見てみましょう。
 
 山東省陽谷県のある生後6カ月の赤ん坊は、おじいさんとおばあさんとは面識さえないのですが、ただ、おじいさんとおばあさんは法輪功修煉者であるため、2002年11月、このかわいそうな赤ん坊は両親と一緒に家から連れ出されて、留置場に入れられました。おじいさんとおばあさんが法輪功を修煉したら孫まで連座されるという実態です。
 
 もう一例、両親が法輪功を修煉する場合、娘はどんな境遇になっているかを見てみましょう。2004年5月の某日、北京の女性の法輪功修煉者・門向栄さんは「610弁公室」の警官に連行され、夫と1歳半の娘も一緒に連れ出されました。しばらく経って、夫は家宅捜索の立会い人として家に帰され、門さんと娘はそれきり消息がなくなりました。家族の質問に対して、「610弁公室」は「法輪功修煉者に対して、どのように処置してもかまわない。こちらの勝手だ」と答えました。

事実に基づいて創作された油絵『どうして』

 また、中国共産党当局が複数の幼児を拘禁し、客観的に「幼児刑務所」を作っていることが、四川の某女性警官によって電話の中でうっかり漏らされました。2002年5月、四川省彭州市蒙陽鎮に住む2歳のある幼児は、法輪功を修煉する両親と祖母とともに「610弁公室」に連行され、ぼろぼろの小屋に3カ月拘禁されました。小屋に便器が置かれて非常に汚くて、蚊とウジムシもいます。3カ月後、保釈金を払えないため、一家4人はまた彭州市留置場に移送され、そこでも幼児は少なくとも9カ月以上拘禁されました。事情を知る人によると、幼い子供は長期にわたる栄養不良のため、身体がとても弱くて、毎日、小さな手で鉄製の門をたたいて「ここを出たい、出たい!」と叫ぶそうです。
 
 記者が彭州市留置場にこの幼児の状況を尋ねた時、電話に出た女性警官は「子供の母親の名前は?」と聞き、記者は「知りません」と答えると、女性警官は意外にも「両親の名前が分からないと、あなたが聞いたのはどの子供か特定できない」と答えました。どの子供? いったい何人の子供が拘禁されているのでしょうか?
 
 6歳の女の子・郭月童ちゃんは河北省昌黎県に住んでいます。昌黎県に恐ろしい洗脳班があって、月童ちゃんは1歳の時にそこに長く拘禁されたことがあり、5年後の2006年、彼女はまたそこに入れられました。
 
 月童ちゃんの母・劉愛華さん、父・郭玉亭さんは昌黎県在住の法輪功修煉者です。月童ちゃんが1歳の時、中国共産党による法輪功迫害が始まりました。劉さんが修煉を放棄しないため、当局は劉さんと月童ちゃんをともに悪名高い「昌黎県洗脳班」に入れました。
 
 昌黎県洗脳班で、法輪功修煉者は日差しが入らない牢屋に監禁され、食事も大小便もすべて室内でしなければなりません。洗脳班は彼らに法輪功を誹謗するビデオと書籍を強制的に見せ、また残虐な拷問を加えました。眠らせない、手錠と足かせをつける、ゴム棒で殴る、強制的に走らせる、野蛮な灌食、手を背中に手錠で固定して口をテープで封じてからスタンガンで殴る、手錠で扉や窓に固定してスタンガンで殴るなど・・・。
 
 ふだん、月童ちゃんはよく牢獄の鉄の柵から外をのぞきますが、お母さんが殴られる時、月童ちゃんは壁の隅に野毛て泣くしかできません。
 
 それから、月童ちゃんとお母さんの迫害の実態が国際社会に知られるようになり、当局は仕方なくやっと月童ちゃんと母親を釈放しました。この時、月童ちゃんはもう3歳になっていました。
 
 出獄してから、月童ちゃんは父・郭玉亭さんに会った時、郭さんの両足はすでに歩けなくなっていました。長い間、離れ離れになったために父親を忘れた月童ちゃんが、やっと父に馴染んだとたんに、父親は再び「610弁公室」に連行されました。その後、父親が釈放されて一家はやっと団らんになりましたが、2006年5月、月童ちゃんはまた両親とともに洗脳班に入れられました。
 
 張縁園ちゃんの父・張洪旭さんと母・呉詠梅さんは法輪功修煉者で、一家は重慶市潼南県梓潼鎮に住んでいます。2003年12月の下旬、母は潼南県の公安に連れ出されて、留置場で拷問を受けたため断食抗議をしました。2004年1月1日、潼南県第一派出所から4人の警官が来て、縁園ちゃんを連れ出しました。母は危篤に陥ったために釈放されましたが、4歳の縁園ちゃんは釈放されておらず、家族は縁園ちゃんの状況も分かりません。

張縁園ちゃん

 河南省周口市の法輪功修煉者・宋振霊さんと王桂金さん夫妻は自営業をしています。2004年2月7日、2人は淮陽留置場に連行されました。王さんは危篤に陥ったため釈放されました。出獄後、王さんはずっと流離生活を送っていて、間もなくして両親の実家から再び連行されました。最も不可解なのは、周口市「610弁公室」は王さんの4歳未満の子供も連れ出して、しかも王さんと別々に拘禁していました。今、子供はどこにいるのか、家族はずっと消息を得られません。
 
 「豆豆」幼稚園の子供と保護者、および世界各国の多くの人が「真善忍」を歓迎しているのに、なぜ中国共産党はこれほど「真善忍」を恐れているのでしょうか? どうして多くの子供の父、母、おじいさん、おばあさんを迫害して、ひいては幼い子供までも「幼児の刑務所」に入れているのでしょうか。
 
 上述の子供たちの身内は皆、中国国民に法輪功迫害の真相を伝え、中国共産党の邪悪な本質を暴露したために中国共産党から迫害を受けたのです。子ども達の幸せを取り戻すために、牢屋の門を叩いて泣くことを二度とさせないように、私達は何かの行動を取らなければなりません。
 
2011年03月07日

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