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「イライラ」する状態を認めない

(明慧日本)私は1995年に修煉を始めた大法弟子です。迫害の中で良い条件の仕事を失ったため、今は商売をしています。商売はまだ軌道に乗っておらず、両親は常に私に対して不平を漏らしています。新年の時、私の状態はあまり良くありませんでした。そんな時、両親は突然、私のことを疎ましく思い、きつい言葉で私を刺激してきたので、私は両親のことがうっとうしく思えて仕方がありませんでした。そのため私は、両親と何も話さず、食事の時間になっても何も食べないなど、無言で彼らに反抗していました。両親を見るだけでイライラして、彼らが私から離れてくれるか、自分が彼らから離れられればどれほど嬉しいことかと思いました。そうすれば、自分は静かに大法の本を読んだり、煉功することができるのに、と思いました。この状況から逃げたいと思っているのに、実際の私には行く場所もなく、ただ布団を深く被って寝るしかないので、いっそう「イライラ」に囚われて、両親のこと、彼らの気持ちを思いやることもありませんでした。
 
 結局、学法することで、心のもやが晴れました。師父は『2009年ワシントンDC国際法会での説法』で次のようにおっしゃいました。「すべてのすべては法を正すことと関連しており、大法弟子の責任とつながっており、またあなた個人の修煉ともつながっており、これはいずれも分けられないことです。ですから、あなたが何を行ってもあなたの修煉状態は反映されます」
 
 では、なぜ私は胸襟を開いて、両親にもっと寛大になれないのでしょうか。実際、彼らは知らず知らずのうちに、私の業を消して心の容量を拡大する手助けをしてくれているのです。それなのに、私は「イライラ」する状態を消極的に受け入れて、他人を批判し、両親に「道理に合わない」、「やつあたりしている」などと文句を言い、すべて彼らが間違っている、自分だけが正しいと思っていました。「イライラ」する原因は情にあり、嫉妬心や、安逸をむさぼる心理であり、私は何の問題も起きず、誰もが私に微笑んでくれることを求めていました。しかし、それは求めて得られるものではなく、ある境地での状態であり、真の慈悲の現れなのです。人心がなく、業もない状態にいると、本当に誰が私を見ても微笑んでくれます。
 
 だから原因はやはり自分にあります。私は、この「イライラ」をひきおこす考えが、自分のものではないとはっきりと認識して、それはいらないと念じました。この点に気付いたとき、私の心は軽くなりました。私はしっかりと自己を修め、一念の良し悪しをはっきりと分別し、師父を手伝っている大法弟子であり、大法の一粒子であると思いました。また、無条件に法を正すことは自分の責任と宿命であり、私は大法の素晴らしさを衆生に伝え、慈悲ですべての不正を正すという基点のもとで、両親のことを考えました。思えば両親は、とてもかわいそうです。彼らは私を妨害する邪悪に利用されているのに何も知らずに生きています。私はこれから胸を開いて彼らを包容し、理解して、実践の中で彼らに大法の素晴らしさを分かってもらいたいです。始終一貫して行い続けることで彼らを救うことができるのです!
 
 次元に限りがありますので、不適切なところがありましたら同修の慈悲なる指摘をお願いします。
 
2011年03月15日

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