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利益に対する心を放下する過程での出来事

(明慧日本)私は2009年12月のある日、友人に頼まれて保険金の積立をするために県の銀行へ行きました。
 
 そこで、私は三つの貯金通帳にお金を振込みました。三つ目の通帳の手続きをする時に、銀行の事務員が私に「お金が400元足りません」と言いました。私はその事務員に「このお金は家族みんなで数えて、私も何度も数えてからそのまま鞄に入れて、すぐに銀行に向かいました。お金が400元足りないなんて考えられません」と言い返しました。すると、事務員は少しいらだった様子で「これを見てください。1050元と表示されていませんか」と紙幣計数機で計算された1000元と、彼が手に持っていた50元のお金を私に見せました。私が彼に「一冊目の通帳に貯金するときに手違いがありませんでしたか」と聞きました。彼はこれ以上取り合おうとせず、私が400元を払わなければ手続きを終わらせないという態度でした。
 
 このようなやりとりをしているうちに、私は後ろに並んでいる客が焦っていることに気付きました。私はすぐに「修煉者はいついかなる時でも他人のことを優先に考えるべきで、自分のトラブルのために他人を待たせることは良くありません」と思い直して、買い物用に用意していた400元をポケットから取り出して事務員に渡しました。彼に400元を渡すとき、私は「今日はこれから市場に行って買い物をするつもりだったが、そのための400元で、トラブルを収めることができて良かった」と思いました。私にこの念が浮かんだとき、「あなたのものならなくすことはできませんが、あなたのものでないなら争ってももらうことはできません」という大法の法理が脳裏に浮かびました。私は穏やかな心理状態でお金を事務員に渡して、手続きを済ませました。
 
 私が貯金通帳をしまっているとき、その事務員は次の客の手続きをしながら、私に「ちょっと待ってください」と言いました。私がしばらく待っていると、彼はその人の手続きをすませた後、戸棚に置かれたお金とコンピュータに記載された金額を比べた後、戸棚から400元のお金を取り出して私に渡しました。私は穏やかな表情でそれを受け取り、微笑みながら彼にお礼を言いました。
 
 私は足取りも軽く家へと向かいながら、自分が大法の中で修煉していることに対して、この上ない幸せを感じました。いかなる時も、修煉者の心性基準に基づいて自己を律することができれば、大法の威力はあなたの前に現れます。利益に対する心を放下することが肝心で、本当に物質的に何かを失うことが重要なのではありません。
 
2011年03月31日


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