■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/04/04/mh054113.html 



経文だけが濡れなかった

文/暁蓮

(明慧日本)私は2001年のある夏の夜、同修の家へ師父の新経文を取りに行きました。帰る途中、大雨が降ってきました。私は自転車をこいでいて、片手でハンドルを握りながらもう一方の手で絶えず顔を拭かなければならないほどでした。私は経文が濡れてしまうことだけが心配で、早く帰りたかったのですが、田舎の道は暗くて悪いので「ライトを持ってくればよかった」と思いました。私がこう思った途端、突然車のライトのような光が自分の20メートル前のところまで照らしたので、私は後ろから車が来たのだと思いました。しかし、振り返って見ると車はなく、しかも前だけでなく自分の後ろも光に照らされていました。私は突然、師父が私を見守って下さっているのだと悟りました。光は私の額から発せられていました。私は体中がじんわりと暖かく感じて、涙と雨水で目の前がぼんやりしました。5キロの道のりを経て、私の村に着くとその光もなくなりました。自分の部屋に入って、ズボンの中から経文を取り出してみると、経文は少しも濡れていませんでした。私は全身濡れていたのに、経文だけが濡れていなかったのです。
 
 2010年、私の電動バイクは使用してからすでに4年が経ち、バッテリーが劣化して、速度が出なくなりました。ある日、人に真相を伝えて三退を勧めている時に、娘の同級生が新しいバイクに乗ってそばを通りました。私は三退してもらうため彼女を追いかけようと思いましたが、彼女はすでに私から500メートルくらい離れていました。私が「このチャンスを逃してしまえば後悔する。彼女とは、もう十年くらい会っていないから、ぜひ彼女を追い駆けて三退をしてもらいたい」と思い、師父にお願いしました。すると、私のバイクは自分でも信じられないくらいの速さで走り出し、彼女に追いついて三退を勧めることができました。彼女は私にとても感謝していましたが、私は「すべては師父の助けがあってのことで、感謝するなら私の師父にしてください」と言いました。
 
 ある日、資料を届けて同修を送ってから家に帰る途中、一日中走ったバイクのバッテリーが切れ、充電しなければならなくなりました。しかし、家までの距離はあと4キロもありました。私はバイクに「数年来、あなたは大法のためにたくさん奉仕しましたね。これから師父にお願いして、あなたにも良い未来が与えられるようにしましょう。電気がなくても走れますよね」と話しかけました。こうして、私のバイクはバッテリーが切れていたのに家まで走り続け、家に着いた途端ぴたりと止まりました。これらは、私の真実の経験です。
 
 十数年来の修煉過程を振り返ってみると、慈悲なる師父は私を常に見守って下さいました。風雨の中で十数年を経て、私は拘禁、洗脳班、留置場、労動教養所などで迫害を13回受けました。多くの成功や失敗を経験しましたが、師父と大法への信念は一度も変わりませんでした。毎日三つのことを行い、この数年来、数千人が三退しました。しかし、これだけのことを行っても師父の要求からまだまだ掛け離れており、残された最後の道をしっかり歩んで精進し続け、師父の慈悲なる済度に背くことのないように頑張っていきたいと思います。私たち大法弟子の同じ目標は「衆生を救い済度すること」です。もっと多くの人を早く救いましょう。そして、自分の先史の誓約を果たしましょう。
 
 (明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
 
2011年04月04日


明慧ネット:jp.minghui.org