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修煉の中で感じたこと(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は16年間の修煉過程で、落ち着いて多く学法すれば冷静になることができ、理性を失わず、心が広くなり、邪悪に惑わされないということを深く悟りました。心の中で良くない念が生じれば、それをすぐに取り除き、「これは私の本性ではない。旧勢力が私の修煉の意志を破壊するために造った幻であり、旧宇宙で形成された私の変異した観念を利用して妨害しようとしている。私は絶対に旧勢力の罠にはまらない、私は旧勢力と残った要素を一緒に解体する」と、正念を持って自分を律しています。
 
 私は修煉を通して、師を信じ法を信じることに対する新たな認識を持ちました。何かの言い訳をせず、師父の要求に従って実行することは正念であり、自分の真の本性です。私は自分の中にある執着心や私心を取り除き、師父が按配してくださった正法修煉の道を歩み続けます。以下は、私が修煉の中で悟った事です。同修とともに切磋琢磨し、もっと精進できるように努力します。
 
 一、正念で寂しさ、孤独感を解体する
 
 幼い頃から私は臆病で、夜は一人で家にいることができませんでした。特に、夜に目が覚めたとき、家に一人しかいないと分かると、私は恐怖や寂しさ、孤独を感じました。そのようなとき、私は一人で泣くしかありませんでした。その時の恐怖は今でも忘れることができません。私はどうしていつも孤独や寂しさを感じるのだろうか、とずっと思っていました。
 
 修煉を始めてから、臆病な性格は直りましたが、寂しさと孤独感が時々襲ってきました。そのようなとき、私はいつも法を暗記し、発正念をして良くないものを解体します。このようにすると、私は毎回良い効果を収めることができました。結婚後、私には子供がいませんでしたが、自然に任せ、師父の按配に従おうと思いました。しかし、人心が湧き出てくるとき、私は寂しさや孤独を感じました。夫は仕事で家にいない日があり、一人だけで家にいると、恐怖や孤独の境地に突き落とされるかのように感じました。夫が毎日家にいることを望んでいるわけではありませんが、心の奥に空虚感を感じ、安心できませんでした。また、私には子供がいないので「私たちが年を取ったら誰に面倒を見てもらうのか? 老後は孤独だろう」と考えました。さらに、心配、疑いなどの執着が私をさいなみ、とても辛く感じました。
 
 正念が足りず、落ちついて学法することができなければ、それらの執着心を取り除くことは難しいのです。私は最近、「私の執着は旧勢力が望んでいる事だ。旧勢力が私の弱みに付け入る機会を虎視眈々と狙っている。旧勢力にその機会を与えてはいけない。それらの執着心は私の本性ではない」と分かり、正念が強くなりました。私は師父の弟子です。ですから、私のすべてを師父はすでに按配してくださいました。師父の要求に従い、大法に従って行えば、師父は私たちに最も良いものを授けてくださいます。なぜ、観念を持って自分の未来を心配するのでしょうか? 人心で自分の損得を考えてはなりません。常人だけが将来のことを心配するのです。大法弟子は神へと向かい、未来の生命を切り開くために存在しているのです。長年修煉してきましたが、どうして観念に妨害されるのでしょうか。私は恥ずかしく思いました。
 
 (続く)
 
2011年04月12日


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