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着実に修め、法を正す道をしっかり歩む(三)

(明慧日本)
 
 三、着実に自分を修めて始めて成熟できる
 
 修煉の角度から見て、自分を修めなければ大法の修煉者としての基準に達することができません。師父は「問題があったときに内に向けて探すことは、大法弟子と常人との根本的な違いなのです」(『精進要旨』)とおっしゃっています。
 
 法を正す角度から見て、自分を修めず、他人の不足を見る現象は、私たちがなかなか成熟できない原因の一つで、法を正す進展を遅らせ、邪悪に同修を迫害する口実を与え、私たち全体に損失をもたらしてしまいます。
 
 この数年、大陸の多くの協調人が邪悪に迫害された主要な原因は、多くの同修たちが彼らを修煉のモデルとし、重大な局面で、いつも彼らが何を言ったか、何をしたかを見て、彼らを特別扱いし、彼らがよくやれば崇拝して依頼心を持ち、彼らに不足があればそれを責めて愚痴をこぼします。法を学ばず、人から学んでおり、法を用いて自ら考えず、自分を修めず、自分の道を歩まず、大法を堅く信じません。彼らが迫害されると、例外なく大きな波紋が広がり、一部の同修は情と人心を用いて魔難に遭った同修に対処し、泣いたり、法を疑ったり、怖くなったり、文句を言ったりして、堅い正念を持って同修を加持して迫害を解体しようとしませんでした。私たちが自分を修めていないから、人心で同修を害し、邪悪に私たちが本当に修煉しているか否かを試すという口実を与えてしまいました。
 
 毎回の教訓を経て、また学法と同修間の交流を通じ、多くの同修がますます成熟し、自分に原因を探し、自分を修め、法に対する疑いを取り除き、法を堅く信じるようになりました。多くの地域の同修が、いかなる状況の下でも正念を長く発し続けていることは、さらに多くの同修が成熟に向かっている表れの一つです。
 
  四、自分を修め、修煉の基点を正す
 
 この数年間、私は自分を修めることについて、一つの間違った考えがありました。なぜ多くの人心がなかなか取り除けないのかを、内に向けて探すとき、私は自分を完全に修める努力をしなかっただけでなく、人心を取り除くとき、迫害されないために修めるという不純な要素がありました。
 
 この11年来、私は多くの残酷な迫害の実情を知り、私を含む多くの同修は、無意識の中で一つの観念を形成しました。それは、迫害を回避することを修煉の目的とすることで、一旦同修が迫害されると、皆その同修の心性上の問題、どんな執着、どんな心を取り除かなかったから邪悪に迫害されたのかを探し「私たちはそのような人心を取り除いて迫害を避けたい」と考えました。その後、魔難に遭った同修の原因を探すべきではなく、無条件で私たちが内に向けて原因を探し、自分を修めることこそ正しいことだと皆が認識しました。しかし、多くの同修は、心の中に迫害されたくないという一念を変えませんでした。
 
 私もこの心が強く、自分でも気付きませんでした。情勢が緊迫している時は頑張って内に向けて探し、発正念を強化して精進しますが、情勢が緩んだときは気を緩め、よく過ちを犯して迫害の情勢を重くさせてしまいました。
 
 同修と交流する際、ある同修もこの問題に言及しました。時間が長く経つと、私たちは修煉の本当の目的、すなわち宇宙の特性「真・善・忍」への同化、返本帰真を忘れてしまいました。
 
 修煉の基点が不純であり、偽の修であるため、法の上で修煉しておらず、法の威力もありません。法の威力がなければ、どのように人心を取り除くことができるでしょうか。
 
 大法弟子として、迫害にこだわらず、着実に真に修煉して各種の人心を取り除き、自分をきれいにし、新宇宙の異なる基準に達するべきです。大法の私たちに対する要求が変わったことはありません。
 
 私たちは修煉の基点を正し、受動的に「無理矢理に修める」ことをしないで、人心と執着や、私たちの人心から生じる迫害の仮相を重く見ることなく、修煉の道で時に良く、時に良くないという状態をなくすことができれば、私たちは修煉を根気よく続けることができます。
 
 結び
 
  「自分を修める」という短い言葉に含まれる内包はとても深いものです。常に自分が修煉者であるということを忘れず、世間の名、利、情に妨害されず、誘惑に動揺せず、迷いの中で方向を見失わず、どんなことにも修の要素があることを思い出し、修煉の基点に基づいて法を正す全てのことをしっかりやれば、威徳をはじめて持つことができます。修煉の中で私たちは、この乱世の中で常にそれを行い続けることは容易ではないのですが、表面上いくら難しくても、多くの同修が分かったように、法をしっかり勉強できれば、なんでもできます。学法は私たちが円満成就と未来へ向かうすべての保障です。私たちが法の中に溶け込み、心の中に法があれば、私たちは常に冷静さを保ち、常に自分を修めることを思い出して着実にやり遂げ、三つのことをしっかりと行い、師父に按排された法を正す修煉の道をしっかり歩むことができます。
 
 (完)
 
2011年05月15日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/5/1/124787.html
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