■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/05/31/mh014748.html 



中国共産党の迫害を総括的に論じる(上)(二)

(明慧日本)唐山市古治区趙各庄病院の女医は開平労働教養所で「修煉をあきらめる」という保証書を書くことを断ったために、1 カ月以上連続して睡眠を剥奪された。 彼女は罰として強制的に24 時間立たされ 続け、寝ることを許されなかった。また、麻薬常習者(女性) が命令を受けて女医を監視し、 彼女がうたた寝をするとすぐ暴力をふるった。女医は眠くてうわごとばかり言うようになり、両脚がひどく腫れても立たされ続けた。労働教養所ではこれを「熬鷹」と呼んでいる。これは、いくつかのグループが交替して監視を行い、法輪功修煉者を一時も休ませない拷問である。ある時、この女医に両手で頭を抱えて長時間しゃがむ拷問を強要された。しゃがんだ両足はしびれると同時に痛くなり、それでも屈服しなければ、警官らは繰り返し殴打し、それでも屈服しない場合は、スタンガンを用いる。「パッ」と青い光が閃き、身体は針に刺されるように感じる。
 
 貴州遵儀県の70歳の曾琴分さんは次のように述べた。「労働教養所で、管教らは麻薬常習者に指示して私に監獄の規定を暗記するよう強要しました。私が『字を知らないので読めない』と言ったら、罰として長時間立たされました。9 日間連続で 立たされ、寝ることを許されませんでした。また、労働教養所では片脚で立つことを強要しました。私は長時間苦しめられ、疲れと眠さで地面に倒れましたが、彼らは私を掴んで起こし、続けて立たせました。ひいては力を入れて何回か私を押し倒し、私を壁にぶつけました。このように長時間立たされて脚は腫れてしまいました」 曾さんは2006年末に貴州省女子労働教養所に送られた。当時曾さんはすでに66 歳だった。老女にさえこのような拷問をする邪悪な中国共産党 にとって、つくりだせない罪悪があり得るだろうか?
 
  承徳市承鋼株有限会社の職員・趙東さんは 、双峰寺労働教養所で不当に迫害されていた期間中、2 回に わたって睡眠を剥奪する拷問を受けた。趙さんは、法輪功を迫害した警官らが報いを受けた事実を書き出して、労働教養所内の警官たちに、善悪には報いがあると教えたために、警官・張文杰によって手錠を数日間連続でかけられ、数日間睡眠を剥奪され、独房に監禁されてスタンガンで電撃された。
 
 2010年2月13日、明慧ネットは 、元中国対外貿易経済合作部弁公庁の官僚・張亦潔(女性) さんが 、北京女子労働教養所で非人道的に苦しめられた内容を報道した。
 
張亦潔さん

 80年代中期、張亦潔さんは夫と一緒にルーマニア駐在中国大使館の外交官として派遣され、90年代に帰国した後、張さんは対外経済貿易部弁公庁の所長に任命された。張さんは94 年から法輪大法を修煉し 始め、信仰を堅持したため1999年 7. 20以来7年間、前後7 回に わたって中共によって不当に拘禁されたが、国際社会の援助で九死に一生を得て、張さんはアメリカに渡り、今はニューヨークに住んでいる。
 
 2001年6月、「610 弁公室」 室長・李嵐清の示唆の下で、張さんは北京市公安局によって不当に1 年半の労働教養を強いられ、北京女子労働教養所に監禁された。その後、 趙さんは10 カ月刑を 追加された。張さんは次のように回想した。「私を『転向』させるために、労働教養所では1 年中私を隔離して監禁し、飢えと渇きで苦しめ、強制的に錠剤を口に入れ、極度に身体を冷やす、激しい日差しにあてる、大小便を制限するなど、心身ともに私を痛めつけました。労働教養所では42 日間 連続して不眠不休で私を『熬鷹(睡眠を剥奪する拷問)』、 『攻堅(修煉者を集中的に迫害すること) 』し、全身があざだらけになるまで私 に集団暴行を加えたため17 日間 も倒れてしまったことがあります……。労働教養所の話を借りて言うと『飴と鞭、公開的な拷問と闇での虐待、できることとしてはいけないこと』を、全部やられたのです」 これ以外にも、張さんは連続18 日間睡眠を 剥奪されると同時に、その期間中に不明薬物を飲ませられるなど、様々な手口を変えた拷問を受けた。
 
 「その42 昼夜に亘る『攻堅』の期間中、私は 一日中立つように強要されました。瞼が一瞬閉じただけで、労働教養所では棒で強く頭を殴られました。一瞬も私に目を閉じさせなかったのです。また私に与えらえた食べ物には秘かに薬物が投与され、私が意識を失った状況の下で、法輪功を攻撃する本を私に大きな声で読ませました。このような極端に卑劣な迫害の中で、私は『師父と大法を害することは決してしない』という一念を守って、すべての誹謗する単語と文句を読み飛ばしましたが、やはり精神錯乱の中、様々な方言で笑ったり騒いだりしながらその本を読みました。もし意識がはっきりしている状態だったら、殴り殺されたとしても読みません。意識がはっきり戻って来た後、私は後悔して止まなかったのです。ある時は薬物を投与された後、私は突然いつもと違い、劇中の人物の真似をしてふざけました。後で私があまりにも耐えられず、うたた寝すると、医科大学を卒業したばかりの警官(女性)は周りを気にせず、平気で私の口の中に錠剤を入れました」
 
 「ある夜、突然すべての歯が緩みました。2 枚の 前歯が内側に向かってピンと立っており、前歯の間には大きな隙間ができてしまいました。その後、偶然鏡に映った自分の姿を見て、私は呆気にとられてしまいました。鏡の中のその白髪だらけでやせ衰えたお婆さんが自分だと全く信じられなかったのです。もし信仰の支えがなかったら、私は決してあの魔窟から生きて出て来ることはできませんでした」
 
 「さらに悪辣なことは、彼らは私を尋問する時、師父の写真をこっそりと新聞紙の中にはさんで、私が必ず通る道に敷いておき、私が知らぬ状況の下で踏ませました。そして彼らは、その師父の写真を持ち出して私の精神を崩壊させようとしました」「私に加えられた百にも上る精神的、肉体的苦痛は、私に正邪をよりはっきりと認識させました。私は次のように決心を固めました。『すべてを失い命まで失っても、決して大法を放棄せず、邪悪に対して妥協しない』 この一念で、私は乗り越えることができました」
 
 「2003年7月に労働教養所から出て来た時、私は行動が鈍く、言葉と思考がまとまらず、記憶力もほぼ喪失し、脳が常に空白状態に陥りました。その後、私はかなり長期間の煉功を経てやっと少しずつ回復してきました」
 
 (続く) 
 
2011年05月31日


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