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高齢の徐洪珍さんがジャムス市労働教養所の罪悪を暴く(写真)(二)

(明慧日本)
 
 真実を言ったために、不法に拘禁された
 
 2000年12月29 日、私は北京へ行き、ようやく陳情局へたどり着きました。ある三輪車の運転手は、私にこう言いました。「ここは陳情局ではなく、逮捕局です。警察は誰それ と関係なく、みんな逮捕しています。全く民主的ではありません。おばあさん、帰って下さい! どんなに陳情しようとしても、罪を着せられ、戻れなくなりますよ」 当時、陳情局の受付をしていた解さんは「私たちも皆、法輪功が素晴らしいと知っていますが、私たちの誰もが、江沢民や朱鎔基に会うことはできません。法輪功を修煉している皆さんに伝えています。もう今後、ここには来ないようにして下さい」解さんがこう言い終えた時、ジャムス北京駐在事務所の担当者が来て、私たちを農墾総局公安局に強制連行し、その夜直ちに、私は紅興隆拘置所へ送られました。それは、大晦日の夜でした。
 
  この拘置所の人は皆私を知っていましたので、私は彼らに真相を伝え、法輪功を修煉する人は世界中で最も良い人で、法輪功を修煉することは違法でもなく罪を犯してもいないこと、逆に 中共(中国共産党)と江沢民が良い人を逮捕することこそ違法なことだと伝えました。検察院の検察長や労働組合の主席も私に会いに来て、食べ物を持ってきてくれました。7日後、彼らは私の身柄を家族に引き渡しました。
 
 何度も不当に家財を差し押さえられる
 
 1999 年 、中共により法輪功が迫害されてから、私は何度も家財を差し押さえられました。奮闘派出所の警官・王越仁は四度、董紹龍は二度、佳西派出所の所長・王永剛は一度、私の家財を差し押さえました。彼らは師父の法像や講法のテープ、法輪大法の関連書籍の他に、MP3 プレーヤー やMP5 プレーヤー 、ビデオデッキ、テープレコーダー、パソコン、プリンター、 5 ,300 元の現金等 の個人の財産まで没収しました。これらは全て、私と家族がお金を節約して購入したものなのに、差し押さえの度に、金目の物なら何でも警察に没収されてしまいました。家にあった6 枚の白いタオルや、鍵まで奪われました。 私は仕方なく、数10 元で新しい タオルと鍵を購入しました。泥棒に盗まれたら、警察に通報できますが、警官に奪われたなら、誰も止めることはできません。近所の人は、「これでは警察ではなく、盗賊だ」と言いました。我が家の経済的な損失金額は、 27 ,000 元にも のぼりました。
 
 娘が不当に労働教養処分となり、老母が悲憤の中で世を去る
 
 当時86 歳 だった私の母は、修煉してから病気がすべて治り、白髪も黒くなりました。娘は私の母に育てられ、2 人は互いにいたわりあっていました。娘が不当に労働教養処分 を宣告された時、母は毎日、指折り数えて娘が帰って来るのを待ち望んでいました。2001年9月11 日、娘はようやく家に戻って来ましたが、母の喜びは数時間も続きませんでした。翌朝、町役場の廖南新と呂 ら3 人がやって来て、仕事を手配すると偽って、娘を「転向」させようとしました。そして それから、彼らは常に家に来ては嫌がらせをするようになりました。89 歳の母は労働教養所の王会計に、法輪功を修煉するようになってから、長年不自由だった足 が良くなり、なんでも食べられるようになったことや、法輪大法の素晴らしさを伝えました。王も母が90歳近いというのに、とても元気で、頭もはっきりしていると言いました。
 
 廖南新らは毎日のように家に来て、娘を「転向」させようとしました。母は「この迫害はいつ終わるの? これではどうやって暮らせばいいの?」と私に尋ねました。母は心配や不安を募らせ恐怖を覚え、とうとう寝たきりになってしまいました。それでも廖南新らは毎日家に来て、嫌がらせをしました。私は彼らに、「年老いた母が、もうこんな寝たきりの状態になっているのに、あなたたちはまだ嫌がらせを続けるのですか? 母の命を奪うつもりですか?」と言いました。廖南新らは責任を問われるのを恐れ、それからは家に来なくなりました。その後、何日も経たないうちに、母は無実の罪が晴らされないままこの世を去りました。死ぬ直前まで、大法が迫害されていることを心配して「迫害はいつ終わるの?」と私に尋ねました。私は「もうすぐですよ」と答えると、母は「そうなれば、廖南新たちが家に来なくなって、平和に暮らせるようになるね」と言いました。そして娘に「私は死んでも、あなたが濡れ衣を着せられたことが、心配で仕方がない」と言い残し、この世を去りました。
 
 この迫害でどれぐらいの家庭が破壊され、身内が亡くなったのか?
 
 2005年5月末、私は法会に参加したことを理由に、前進区610弁公室の王連民とジャムス市公安局610 弁公室の陳万友、奮闘派出所の警官・王越仁らに よって拘置所に強制連行され、47 日間 の不法拘禁を強いられました。
 
  拘置所では食べる 物がなく、庭に生えていた草まで食べ尽くしました。娘が二度目の不当労働教養を強いられた時、16歳になる孫娘は一人ぼっちになりました。迫害されてから、まだ子供だった孫娘は6年間、お正月を1人で寂しく過ごして、1 人の身内もそばにいませんでした。派出所の警官や町役場の担当者たちは、頻繁に孫娘の家に来ては嫌がらせをし、孫は学校に通いながら、家事も進学の準備もしなければならな かったため、精神的なプレッシャーはとても深刻でした。
 
 (続く)
 
2011年06月03日

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